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オーケストラ・アンサンブル金沢第316回定期公演PH
2012年3月3日(土) 15:00〜 石川県立音楽堂コンサートホール
1)ビゼー(シチェドリン編曲)/カルメン組曲(一部省略)
2)ショスタコーヴィチ/交響曲第14番ト短調,op.135
●演奏
井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサートマスター:アビゲイル・ヤング),アンナ・シャファジンスカヤ(ソプラノ*2),ニコライ・ディデンコ(バス*2)
プレトーク:池辺晋一郎
Review by 管理人hs  

2012年のラ・フォル・ジュルネ金沢のテーマは"サクル・リュス(ロシアの祭典)”です。3月最初のオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の定期公演は,そのテーマを先取りする,プレイベントのようなプログラムとなりました。ただし,演奏された曲は,どちらもソヴィエト連邦時代の曲でした。2曲のうち,まず注目は,2007年にショスタコーヴィチの交響曲の全曲演奏のプロジェクトを行ったこともある井上道義さん指揮によるショスタコーヴィチの交響曲第14番でしょう。

ショスタコーヴィチの15曲の交響曲の中では,第5番が圧倒的に有名ですが,それ以外にも多彩な作風の作品が並んでいます。いくつかにグルーピングはできますが,ソ連時代の政治情勢と作曲者自身の境遇や思惑とのバランスを取りながら,一つとして同じタイプの交響曲はないと言ってよいほど,ショスタコーヴィチは多彩な交響曲を作ってきました。

そういう一癖も二癖もあるショスタコーヴィチの交響曲の中でも特に変わっているのが,この第14番です。楽章数が11,弦楽器と複数の打楽器だけという楽器編成。ソプラノ歌手とバス歌手が各楽章で登場し,「死」をモチーフとした曲を次々と歌うという点も独特です。当初,「死者の歌」というサブタイトルが付けられていたとおり,ロルカ,アポリネール,キュヘルベケル,リルケといった4人の詩人の「死生観」を表現した歌詞をテキストにしています(ロシア語またはロシア語訳です。)。この点では,マーラーの「大地の歌」と通じる部分もありますが,さらに晦渋さがあります。

石川県だけではなく,全国的にも滅多に演奏されない第14番。専門家の間では,「ショスタコーヴィチの最高傑作」と呼ばれることもある作品を井上道義さんとOEKがどう聞かせるか?OEKファンのみならず,全国のショスタコーヴィチ・ファン注目の公演と言えます。

私自身,この曲を生で聞くのはもちろん初めてでしたが,まず,この曲の”胆”と言ってもよい二人のロシア人歌手の声の力が素晴らしく,有無を言わさぬ迫力をもった演奏となっていました。バス歌手は,井上さんの信頼の厚いセルゲイ・アレクサーシキンさんからニコライ・ディデンコさんに変更になったので,ちょっと心配をしていたのですが,プログラムに書かれた井上さんのコメントどおり,「勝るとも劣らない」歌唱でした(アレクサーシンさんの歌を聞いたことがないので推測ですが。)。ソプラノのアンナ・シャファジンスカヤともども,声量が豊かで,ロシア音楽にふさわしいスケール感をしっかりと感じさせてくれました。声質もほの暗く,「死」をテーマにした作品にふさわしい,重さと深さのある,暗いドラマに満ちた気分を作っていました。

OEKの配置は次のとおり,かなり変則的なものでした。




先日の石川県内の大学オーケストラとOEKとの合同公演の時同様,コントラバスが正面に来ており,低弦の音が特にしっかりと聞こえてきました。曲は暗く沈みこむような楽章を中心に,時折,動きのある楽章が交錯しながら進みます。

第1楽章「深き淵より」は,しっとりとした弦楽器の響きに続き,バスの声が静かに,しかし,しっかりと聞こえてきました。大声を張り上げていない分,深い地の底から湧き上がってくるような凄みのある迫力がありました。”ロシアの大地”という声でした。

今回の公演で特徴的だったのは,これまでにない形の字幕ボードが使われていた点です。音楽堂でのオペラ公演の時などで使われている両サイドに置く縦書きの電光掲示板ではなく,天井から吊り下げる横書きタイプでした(今回の公演専用なのか今後も使われるのかは不明)。これが優れものでした。演奏者と字幕の位置が近いので,演奏に集中しながら,字幕を読むことができました。さすがにオペラ用には使えないと思いますが,それほど大きなものではないので,他の宗教曲や歌曲用として十分使えると思いました。

歌詞については,日本語で読んでも内容を完全に把握できる訳ではないのですが,ロシア語を音として聞き流すのとは違って,”おおまかな内容”を理解するのにはとても役立ちました。この曲は,楽章が細かく区切られている割に,楽章間のインターバルがない部分も多いので(これもショスタコーヴィチならではのトリック?),楽章の区切りを知るためにも役立ちました。

第2曲「マラゲーニャ」では,ソプラノのシャファジンスカヤさんが登場しました。こちらもしっかりとした強さとゾクっとさせるような迫力のある歌を聞かせてくれました。ドキッとさせるような,鞭の連打で始まる第3曲「ローレライ」は,二人の歌手が交互に歌うスタイルで,マーラーのオーケストラ伴奏付き歌曲集「子供の不思議な角笛」を思わせるような部分がありました。ただし,よりグロテスクで深刻な表情を持っていました。バス歌手の方は,ナレーション的な役割で,冷たいドラマを感じさせてくれました。ソプラノの方には,後半,とても綺麗な歌が出てきました。ややこしそうな曲が続くので,全曲中でも特に印象的で抒情的な部分となっていました。

第4曲「自殺した女」も,ソプラノによる美しく悲しい歌で始まります。オペラの中の一場面を聞くような楽章でした。この部分では,主席チェロ奏者のカンタさんのチェロとソプラノとの絡み合いも聞きものでした。カンタさんのチェロには,色気と艶と濃い味わいがあり,聞きごたえがありました。ヴァイオリンと声が合わさって,発狂するような音を出している部分も非常にインパクトがありました。

第5曲「覚悟して」は,乾いた太鼓の音が印象的で,ストラヴィンスキーの「兵士の物語」を思わせるシニカルなユーモアがありました。第6曲「マダム,ご覧なさい!」は,バスとソプラノが絡む曲で,どこか演劇的でした。第7曲「ラ・サンテ監獄にて」は,コントラバスとチェロの五重奏が活躍します。低音が静かに動くのが何とも言えずミステリアスでした。ただし,ピツィカート中心なので,ジャズのベースのようにも響くのが面白いところです。時々入る木製の打楽器の「コンコン」という音との絡みも面白く,ショスタコーヴィチならではの個性的な楽章となっていました。

この曲では,このようにコントラバスやチェロなどの低音楽器が2人の歌手と絡む部分が随所に出てきましたが,室内オーケストラならではの親密さと雄弁さがあり,聞きごたえ十分でした(このところ,OEKのコントラバスには,マルガリータ・カルチェヴァさんが参加していますが,ついつい注目をしてしまいます)。

第8曲「イスラムの王へ宛てたコサックたちの回答」は,速いテンポの曲で,ディデンコさんの迫力たっぷりの演劇的な歌唱を堪能できました。楽章の最後の部分の狂気をはらんだような弦楽合奏(クラスターという現代音楽の技法)の迫力が凄まじく,叫び声のようにも聞こえました。

第9曲「ああデーリヴィク,デーリヴィクよ」は対照的に甘い気分になります。ここでもチェロが活躍していました。この日のプレコンサートで,大澤さんがショスタコーヴィチのチェロ・ソナタの一部を演奏していましたが,それに呼応するような感じの曲でした。歌詞的には,音楽の盛り上がりと同時に,詩作を賛美するような内容で,この曲のクライマックスの一つを作る感動的なものでした。

第10曲「詩人の死」以降は,全曲のエピローグのような感じでした。最初に出てきた透明な弦楽合奏は,第1楽章の再現のようでした。「苦しみはまだまだ続く」という趣きで,深みのある低弦がここでも活躍していました。第11曲「結び」は非常に短い曲でした。ここまで交互に歌うことはあっても同時に歌うことのなかった2人が初めて重唱します。ただし,大きく歌い上げるのではなく,「死は全能,いつも死と隣り合わせ」という怖さのある詩を歌います。最後にサッと荒れ狂うようにオーケストラが盛り上がって,フッと終わってしまう終わり方は非常に不気味かつリアルでした。

演奏全体を振り返ってみると,50分ほどの演奏時間を使って,死を冷酷に描いてはいるけれども,そう歌うこと点で,「死」を乗り越えてしまった(あるいは,あきらめてしまった)ような作品と言えると感じました。演奏後,マーラーの第9交響曲やチャイコフスキーの「悲愴」交響曲のような作品だとものすごく暗い気分になりますが,井上さんをはじめ,この日のステージ上のみなさんはそれほど暗い表情ではなく,どちらかというと嬉しそうに見えるぐらいだったのが印象的でした。

この曲は,3曲に1曲ぐらい打楽器が活躍する曲が出てきたり,いろいろな要素が緻密に組み合わせられた構成になっていました。OEKの演奏も集中力十分で,聞き終わってみると,2人の歌手の声の迫力だけではなく,音楽全体としての深さを実感できました。歌曲集というよりは,やはり交響曲ですね。”交響曲作曲家,ショスタコーヴィチ”の到達点の一つといえる作品だと感じました。

前半は,OEKの十八番,ビゼー作曲,シチェドリン編曲のカルメン組曲が演奏されました。(ただし,一部カットを行っていました。この点については,井上さん自身,何らかの”思い”があるのだと思います。)。この曲はOEKファンにはおなじみの曲ですが,今回は,これまでに見たことのないような楽器配置で演奏していました。打楽器奏者5人を前方に,弦楽合奏を通常管楽器が座っている雛壇に配置していました。弦楽器が壇の上に乗ると,演歌を伴奏するバンド風に見えたりするのが(私だけ?)面白く感じました。

そのせいもあり,いつもと音の響き方が違っていました。弦楽器の音がホールの上の方に抜けて行っている気がして,少々落ち着かなかったのですが,演奏の方は井上/OEKならではのこなれたもので,しっかり楽しむことができました。

イージーリスニング風に,故意に甘く演奏しているような第3間奏曲,メロディラインが急になくなってしまうカラオケ風「闘牛士の歌」,熱く切実なカンタービレを聞かせる「花の歌」,演奏後,勢い余って井上さんが一回転していた「ファランドール(「アルルの女」の中の1曲が入っています)など,ケレン味たっぷりに大柄な演奏を聞かせてくれました。

打楽器チームは,昨年12月の「もっとカンタービレ」シリーズでカルメン組曲(シチェドリン版をさらに編曲したもの)を演奏したばかりの菅原淳さん,渡邉昭夫さんを含む5人でした。その他のエキストラもお馴染みの方ばかりで,安心して楽しむことができました。

この日のプログラムは,どちらも管楽器が出てこないロシア音楽ということで,プログラム構成としても,よくまとまっていました。その代わり,翌日3月4日の「もっとカンタービレ」公演で,管楽器メンバーだけによる室内楽が演奏される,というのもうまくできています。弦楽器+打楽器組は,明日は東京の日比谷公会堂で,今回と同じ曲を演奏しますので,ほぼ同じ時間帯に「2つのOEK」が,別行動をしていることになります。OEKならではの非常に面白いスタイルだと思います。

この日は,渋いプログラムにしては,とてもよくお客さんが入っていたと思います。井上さんの意図が,聴衆の方にも浸透してきているな,と実感できた演奏会でした。

PS.日比谷公会堂での公演についても,ショスタコーヴィチに対する井上さんの強い思い入れがあって実現したものだと思います。OEKがこのホールでどういう音を出すのか聞いてみたかった気もします。
http://www.michiyoshi-inoue.com/shostakovich_2012.pdf

その後,今度はOEKとではなく兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)ともこの曲を演奏します。3日連続公演というのがPACならではですね。
http://hpac-orc.jp/concert/20120309.php
(2012/03/11)


関連写真集


公演の立看。良く見ると,井上さんのポーズは,前回の石川県内大学生オーケストラとの共演の時のポスターと結構似ていますね。


音楽堂内の案内のボード

この日もサイン会がありました。


毎度おなじみの井上道義さんのサイン。次の井上さん指揮のショスタコーヴィチは,ラ・フォル・ジュルネ金沢2012での第12番 with ウラル・フィルです。


シャファジンスカヤさんとディデンコさんのサイン