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カンタータ「悪魔の飽食」第23回全国縦断コンサート石川公演
2012年6月17日(日)14:00〜 石川県立音楽堂コンサートホール
オープニング 太鼓・民舞
銚子早打ち太鼓
八木節
●演奏
太鼓サークル鼓風楽

第1部 二胡合奏
シルクロード
はるか
葡萄熟了
賽馬
●演奏
李彩霞(二胡),ルドヴィート・カンタ(チェロ),清水史津(ピアノ)

第2部 森村誠一&池辺晋一郎両氏対談

第3部 カンタータ「悪魔の飽食」
池辺晋一郎/カンタータ「悪魔の飽食」
(アンコール)池辺晋一郎/カンタータ「悪魔の飽食」〜第7曲の一部
●演奏
池辺晋一郎指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサートマスター:松井直)、カンタータ「悪魔の飽食」を歌う石川合唱団・同全国合唱団
演出:片岡輝、舞台監督:原有人、佐久間勝徳、演技:阿部百合子、杉本きり、田原涼夏)
Review by 管理人hs  
石川県立音楽堂の洋楽監督としても活躍されている作曲家の池辺晋一郎さんは,石川県立音楽堂で定期的に行っている「音楽堂アワー」やオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の定期公演のプレトークなど,ダジャレを交えた,軽妙なトークでもお馴染みですが,今回の演奏会では,それとは違った硬派な一面を見せてくれました。

この日演奏されたのは,森村誠一原作の『悪魔の飽食』に基づくカンタータでした。原作は,推理作家として有名な森村さんが1981年に著した,関東軍731部隊が旧満州国で行わっていたという人体実験の実態を描いた作品ということで,発表当時,大きな話題になりました(ただし,ノンフィクション作品としては問題が多いことも指摘されています。)。曲の方は,森村さん自身による,原作からピックアップした形の7つの詩に池辺さんが曲を付けたものです(ただし,詩の方は,初演を行った神戸市役所センター合唱団と池辺さんが「編詩」を行っています。)。当初はピアノ伴奏による合唱組曲だったのですが,その後,毎年のように繰り返し全国各地で演奏されるようになり,オーケストラ伴奏のカンタータとしても演奏されるようになったものです。今回の金沢公演は23回目になります。

演奏会の前半最後に森村さんと池辺さんによるトークが入ったのですが,この曲については,お二人の予想以上に多くの人たちの間に”勝手に”広まっているとのことです。昨年は佐賀県で行われたのですが,その時,合唱に加わっていた人の一部も,今回の演奏にも加わっています。毎年毎年,全国各地から集まった合唱団に地元のメンバーが加わっていきますので,言ってみれば「雪だるま式」に合唱団の人数が増えてきています。今回の公演の合唱団も500人近くの特別編成大合唱団となりました(この日のステージはすごいことになっており,パイプオルガンの前,ステージの両袖にも合唱団がいました。さらに,客席側に向かってステージを拡張しており,OEKはその上で演奏していました。)。

演奏を聞きながら、繰り返し演奏されていること、そして、合唱に参加する人数が増えている理由が分かる気がしました。タイトルからすると、「難解」「暗い」「重い」作品という先入観を持ってしまうのですが、むしろ印象は逆で、平明な親しみやすさがありました。この作品は,神戸市役所センター合唱団の委嘱で書かれた作品ということで,アマチュア合唱団が歌うことを想定して作られているのだと思います。予想外に聞きやすい作品で、500人による熱い歌と反戦の思いがストレートに伝わってきました。

もちろん、大半の作品は暗いのですが、どちらかというと大河ドラマとかミュージカルとかにも使えそうな感じの音楽も含まれており、歌う方からすると、気持ちをしっかりと込めやすい、入り込みやすい曲が多いと思いました。そのことが、聞く方にとっても歌う方にとっても魅力的なのだと思います。そういう意味で、「戦争中に起きた非人間的な出来事」、という歴史的な事件を離れて、より普遍性を持った作品になっていると感じました。作品中、ロシア人の母娘が登場したり、赤い靴が登場したり、ナレーションが加わったり...単純な合唱曲ではなく、演劇的な要素も組み込まれていました。その辺も、分かりやすくなっていた理由の一つでした。

曲は次の7曲から成っていました。この日のプログラムには,全歌詞と各曲ごとの分かりやすい解説がついていましたので,それを眺めながら振り返ってみたいと思います。

T プロローグ 731の重い鎖
U 生体の出前いたします
V 赤い支那靴
W 反乱
X 三十七年目の通夜
Y 友よ 白い花を
Z 君よ 目を凝らしたまえ

T プロローグ 731の重い鎖は,全体の序曲で,大河ドラマのテーマ曲風の堂々たる気分がありました。半音で下降するような音型が印象的で,不安な気持ちと「この後,曲はどうなって行くのだろう」という期待とが交錯していました。特別編成合唱団の歌は,ボリューム感たっぷりでしたが,歌詞もしっかりクリアに聞こえてきました。この曲を歌い込んでいる人たちの思いが伝わるような歌でした。なお,この曲では,後の楽章でもう一度登場する,ロシア人母娘の2人が途中で登場しました。

U 生体の出前いたしますは,暗いスケルツォ風の楽章でした。言葉にしたくないぐらい残酷な内容が,テンポ良く続き,次第ににゾーッなるような寒気がしてくる,といった曲でした。最後の「731にいらっしゃい」という部分などでは,悪魔的な迫力を感じました。

V 赤い支那靴は,非常に美しい曲でした。単独でも歌えそうな魅力がありました。殺害されてしまう父が娘を思って歌う曲で,演奏前に,娘を象徴するような「赤い靴」が合唱団員によって,大切にステージ前方に置かれたのが印象的でした(この靴は,チケットにもデザインされていました)。岡本さんのフルートで始まる優しく抒情的なメロディは,現実離れしているように美しく,それがかえって,悲しみを強調していました。こういう曲を聞くとこの曲が繰り返し歌われている理由がよく分かります。親子の間にある普遍的な情感が,残酷な状況の中で,一層強く訴えかけてくる―そういう曲でした。

W 反乱は,兵士たちが「人間らしくしにたい」と反発する力強い曲です。ここまでの4曲はそれぞれに,性格が違っており,管弦楽伴奏で演奏されていることもあり,交響曲的な多彩さとスケールの大きさを感じました。

X 三十七年目の通夜では,プロローグで登場したロシア人母娘が再度登場しました。この2人は,マイムで演技をしていたこともあり,演劇的な雰囲気がありました。時の刻みを示すような音で始まった後,青酸ガスを注入する731部隊員,娘をかばおうとする母,あどけない娘...と三者三様の心情が丁寧に描かれていました。途中,731部隊員の非情さを示すようなナレーションが入ったり,最後の部分では,731部隊員が現在から当時を振り返って後悔したり,いろいろな要素が詰め込まれていました。大変,聞きごたえ,見ごたえのある部分でした。

Y 友よ 白い花をでも,最初の部分にナレーションが入りましたが,これまでとは気分が変わり,前向きな気分が前面に出ていました。全体的な気分としてミュージカルやドラマの主題歌を思わせるような親しみやすさがあり,気持ち良く大きく歌い上げられていました。途中,バレエ・ダンサーが登場し,「白い花」を舞台に置いて行きましたが,これは平和の象徴であると同時に,犠牲者の鎮魂のための献花となっていました。

Z 君よ 目を凝らしたまえは,全曲を締めるにしては,本当に意外なほど軽く明るい作品でした。パーカッションがポップス風のリズムを刻む上に,分かりやすいメッセージがシンプルに歌われていきました。プログラムの解説によると,この曲はハ長調で書かれているとのことですが,混じり気のないシンプルさが何よりも強いのかもしれません。ベートーヴェンの第9同様,ストレートなメッセージの揺るぎなさを感じさせてくれるような曲でした。

この曲には,
科学を悪魔に渡してはならない,人間の英知が破れぬために
過ちを隠せばいつか同じ過ち 悲惨な記憶が風化していく 歴史の教えを忘れぬため 私たちは力を合わせよう
という歌詞がありました。1984年に作られた詩ですが,福島第一原発の事故が起きた現在,非常にリアルに響いていました。

演奏後,この曲の最後の部分だけ,アンコールでもう一度歌われましたが,合唱団の皆さんもこの曲での開放感を味わうために何回も歌われているのかもしれません。

演奏会の前半では,地元の演奏家によるステージでした。

最初に地元の太鼓サークル,鼓風楽の皆さんによる景気付けの太鼓演奏と傘を使った楽しげな舞が行われた後,二胡とチェロとピアノによる三重奏の演奏が続きました。後半の「悪魔の飽食」との関連は薄かったのですが、特に 李彩霞さんの二胡の音の独特の甘さと不思議な軽やかさが印象的でした。どこから音が聞こえてくるのか分からない浮遊感も魅力的でした。馬の嘶きを模したような音やスピード感たっぷりの軽快さなど,演奏された3曲とも楽しむことができました。この演奏には,OEKの主席チェロ奏者のお馴染みルドヴィート・カンタさんも加わっていましたが,今回は引き立て役になっており,心地よいハモリを聞かせてくれました。

メインで演奏された「悪魔の飽食」については,題材があまりにも生々しいので,聞く前は気が進まないところもあったのですが(実は,今回は,出演者からチケットを買ったけれども都合で行けなくなった家族の代理で聞きに行きました),聞き終わって見ると,詩と音楽が一体なった時の説得力の強さをしっかり実感できました。オーケストラ伴奏付きの日本語のカンタータには,「大地讃頌」で有名な佐藤眞作曲の「土の歌」という曲がありますが,この曲からも,それとちょっと似たような,強さを感じました。「悪魔の飽食」が扱っている題材は,目をそむけたくなるものであることは間違いないのですが,曲の構成が巧みで,魅力的な曲が多いこともあり,これからもしっかりと歌い継がれていくのではないかと感じました。今回,池辺さん自身が指揮をされていましたが,客席で聞いていた森村さんともども,「23歳」になった「曲の成長」を強く実感されたのではないかと思います。

PS 前半最後に行われた,池辺さんと森村さんの対談は興味深いものでした。池辺さんは「今回はインタビュアーに徹します」と語っていたとおり,特に森村さんの次のような言葉が印象的でした。
  • 芸術は人間のマイナス面を描いた作品の方が後世に残る傾向がある。
  • 今回の合唱団のメンバーには,阪神大震災と東日本大震災の被災者も加わっている。悲しみを持って生きている人の心に添えることを祈っている。
  • 731部隊と金沢はつながりが大きい(中心人物の石井四郎は金沢の第四高等学校出身,終戦後,金沢の野間神社に帰還)
  • 今の中国は加害者側に変わりつつあるのではないか?中国への警鐘にしたい。

池辺さんの方は,相変わらず「森村さんは詩人で,私はシガナイ作曲家です」といったことを言っていましたが,いつもよりは控え目でした。池辺さんは,「悪魔の飽食」の音楽と同時に,原爆の被害者の朗読劇「この子たちの夏」の音楽も担当しています。加害者側の立場と被害者側の立場の両方を描くことが「両輪」になっている,と語っていたことが印象的でした。 (2012/06/20)

関連写真集


公演ポスター。歌詞にも出てくる「赤い靴」がデザインされています。


終演後,森村さんと池辺さんがサイン会を行っていたようです。


音楽堂の1階の廊下にあった掲示です。文字が大きくて,なかなかインパクトがあります。