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音楽堂室内楽シリーズ2014第5回:小林道夫クリスマス・クラヴィコード
2014年12月16日(火)19:00〜 石川県立音楽堂コンサートホール(ステージ上で鑑賞)

バッハ,J.S./インヴェンションとシンフォニーア へ長調, BVW. 779, 794
バッハ,J.S./インヴェンションとシンフォニーア へ短調, BVW. 780, 795
バッハ,J.S./インヴェンションとシンフォニーア イ長調, BVW. 783, 798
バッハ,J.S./平均律クラヴィーア曲集第1巻〜第8番変ホ短調, BVW. 853
バッハ,J.S./平均律クラヴィーア曲集第1巻〜第13番嬰ヘ長調, BVW. 858
バッハ,J.S./フランス組曲第5番ト長調, BWV. 816
バッハ,C.P.E./識者と愛好家のためのクラヴィーア集第1巻, Wq.55〜ソナタ第2番ヘ長調
バッハ,C.P.E./ロンド「さらば,我がジルバーマン・クラヴィーア」ホ短調, Wq. 66
バッハ,C.P.E./「スペインのフォリア」による12の変奏ニ短調, Wq. 118/9
(アンコール)ライネッケ/クリスマス・ソナチネ, op.251-3〜第1楽章

●演奏
小林道夫(クラヴィコード)


Review by 管理人hs  

音楽堂室内楽シリーズ2014 第5回はベテラン鍵盤楽器奏者の小林道夫さんによるクラヴィコードの演奏会でした。過去,小林さんがチェンバロを演奏するのを聞いたことはありますが,クラヴィコードの演奏を聞くのは初めてのことでした。今回はこのクラヴィコードで,J.S.バッハとC.P.E.バッハという「2人のバッハ」の作品を楽しむという趣向でした。

クラヴィコードは,ホールでの演奏会用の楽器というよりは,少人数向けの家庭内で使うのが相応しい楽器ですので,通常の演奏会とは違い,お客さんの方もステージ上に乗って,奏者を間近で取り囲むようにして聞くというスタイルでした。石川県立音楽堂のコンサートホールのステージに乗ること自体めったにないことですが,その上でクラヴィコードを聞くというのは,さらに珍しい経験です。

 
ステージ上の雰囲気とお客さんのいない客席

今回の演奏会は,小林道夫さんのトークを交えて進められました。楽器のこと,両バッハの作品のこと,各作品の作曲にまつわるエピソードなど,次から次へと興味深い話題が続き,全く飽きることなく,クラヴィコードでの演奏を楽しむことができました。

以下,そのトークの内容も一緒にご紹介しましょう。

まず,クラヴィコードの音量について,「どれだけ小さいのか聞いていただきましょう」ということで,バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻の第1番のプレリュードが演奏されました。確かに小さい音量でした。その後の演奏では,マイクを使って音量を増幅し,楽器の下に置いたスピーカーから音を流していましたが,私の居た場所からだと,拡大されているようには聞こえませんでした。あまり音を拡大すると,ガチャガチャした音になってしまうらしいので,増幅するのは最小限にとどめていたようです。

というわけで,ステージ上で聞いていてもかなり音量が小さかったので,どうしても耳を澄まして聞くという形になります。しかし,不思議なことに,曲が進んでいくにつれて,段々と耳の方も研ぎ澄まされていくような感じになり,それほど気にならなくなります。小音量に耳の方が最適化されていく,といったところでしょうか。小林さんのトークは,非常に落ち着いたトーンでしたが,その相性もぴったりでした。

まず,小林さんとクラヴィコードのつながりについて次のようなことを語っていました。

  • 50年ほど前にドイツで勉強をしていた頃にクラヴィコードを購入。
  • ドイツでは昼食後3時間ぐらい休憩時間があり,音を出すことができなかったので,4オクターブほどした弾けない旅行用クラヴィコードを買い,日本まで持ち帰った。
  • この日演奏した曲は,全部その音域で演奏できる。

前半演奏されたのは,すべてJ.S.バッハの曲でした。小林さんの演奏には,常に知的に抑制された感じがあり,しっかりと曲の「形」を伝えてくれるようでした。

最初に演奏されたインヴェンションとシンフォニーアは,ピアノの学習者用の曲集として知られていますが,今回は「グレン・グールドの録音を聞いて面白いと思った」ということで,曲の配列に趣向が凝らされていました。

2声と3声の曲集の中から,今回は3つの調性の曲が選ばれましたが,「2声だけ」「3声だけ」をまとめるのではなく,グールドと同様に,2声のヘ長調の曲の後,3声のヘ長調の曲,2声のヘ短調の曲の後,3声のヘ短調の曲...という配列でした。

それと,「この曲を好きな子供はいないだろう」という3声のヘ短調の曲を中心に据えていました。小林さんによると,「左手の音型は「悲しみ」,右手の音型は「ため息」を表現。そこにジグザグの十字架音型が入る。つまり受難曲である」ということで,やっぱりバッハはすごいなと思いました。そういった小品を組み合わせることで,単独で聞くのとはまた違った,「世界」を作っていたのが面白いと感じました。

続いて,平均律クラヴィーア曲集第1巻から2曲が演奏されました。このシリーズの前回,上杉春雄さんの演奏会でも平均律の第1集が取り上げられたので,因縁を感じました。演奏された曲も第8番の方が共通していました。小林さんは次のようなことを語っていました。

  • 「平均律」という訳はよろしくない。5度がきれいに鳴るように「上手に調整した」といった意味である。
  • 「クラヴィーア」というのは鍵盤楽器を広く指している。例えば,パイプオルガンなども含まれる。
  • この曲集の楽譜の表紙に不思議な渦巻きのデザインが描かれている。これが調律のための暗号という節もあり,それに従って(?)調律した演奏もある。
  • 第1集の中の♭や♯の沢山入った曲について,特に力が入っているようなところがある。

というわけで,今回は♭6個の第8番変ホ短調と♯6個の第13番嬰ヘ長調が演奏されました。

前半最後は,アンナ・マグダレーナ・バッハのための曲集に入っている,フランス組曲第5番が演奏されました。バッハが家の中で弾いていたと考えられる曲で,クラヴィコードの音域にも合っている作品とのことです。

このフランス組曲の第5番は個人的にも好きな作品です(というか,フランス組曲の中で区別の付くのがこの曲だけなのですが....)。この曲の最初に出てくるアルマンドのメロディなどは,確かに家庭内でリラックスして演奏するのにぴったりのムードがあります。

小林さんは,「長年,教員をしていることもあり,ついつい説明が長くなってしまいます」と語りながら,バッハの組曲のパターンについても解説してくださいました。その説明が簡潔明快で,聞いている方からすると大変参考になりました。次のようなことを説明していました。

  • 組曲の基本型は「アルマンド」「クーランド」「サラバンド」「ジーグ」
  • 「ジーグ」の前に色々な舞曲が入る。フランス組曲の場合は,ここに3曲入っている。
  • イギリス組曲と無伴奏チェロ組曲の場合は,1曲だけ入っている。その代わり,最初に「プレリュード」が付いている。

今回使われたクラヴィコードは,石川県立音楽堂に寄贈されたもので,演奏前は休憩時間に,頻繁に調律を行っていました。

 
この日は写真撮影が許されていたので,休憩時間には皆さんあれこれ撮影をしていました。


後半は,ヨハン・セバスチャン・バッハの次男のカール・フィリップ・エマニュエル・バッハの作品が演奏されました。このC.P.E.バッハについては,次のようなトークがありました。

  • C.P.E.バッハは,今年生誕300年だが...「お父さんの300年の時とは違って,話題になってませんねぇ」
  • ただし,当時はC.P.E.バッハの方が有名だった。特に彼が執筆したクラヴィーア用のテキストが(クヴァンツ著のフルートのテキスト,レオポルド・モーツァルト著のヴァイオリンのテキストと並んで)有名で,当時の奏法を知るための参考資料として重要。
  • 特に装飾音の扱いについて細かく書かれており,”On the beat fetishism" などと呼ばれている。
  • この時代,「ポリフォニー」から個人的な情を重視する「多感主義」の時代へと移行しつつあった。

クラヴィコードという楽器は,この「心の動き」を表現できるということで,この時代よく使われたと言えます。

クラヴィコードについて,チェルニーは「演奏するのはやめろ」といったことを語り,嫌いな楽器だったそうです。その理由は,「指の圧力によって音程が変わり,音階を演奏をするのも難しい」「鍵盤の長さが短く,親指と小指が違う。指使いが違ったものになる」ということのようです。この音程が変わるという点が,特にクラヴィコードの大きな特徴で,通常の鍵盤器にはないヴィブラートなどの表現が可能となります。

C.P.E.バッハの「識者と愛好家のためのクラヴィーア集第1巻」の中には,楽譜にヴィブラートの指示が書かれた曲があり,後半はまず,このヴィブラートを使った曲が演奏されました。第1楽章に何か所か出てきたのですが,ヴィブラートというよりは,ちょっと音程が狂うといった感じにも聞こえましたが,独特の味がありました。第2楽章について小林さんは「シューマンに近いようなロマン派的な魅力もある」と語っていました。

これまで,C.P.E.バッハについては,過渡的な作曲家としてあまり評価をされてこなかったようですが,生誕300を契機に,もう少し注目が高まっても良いのではないかと思いました。小林さんがこの曲について「楽器が喜ぶような曲」と語っていたのが印象的でした。

次のロンド「さらば,我がジルバーマン・クラヴィーア」という曲については,面白いエピソードが披露されました。

  • 弟子のグロトフスがC.P.E.バッハがお気に入りのジルバーマンのクラヴィコードで演奏するのを聞いてほめたところ...何とその楽器を弟子に気前よくプレゼントすることになった。
  • それを後で後悔したのか,「さらば...」というこの作品を書いた。
  • ロンドには,通常楽しい曲が多いが,このロンドでは悲しみを表現できることを示そうとした。
  • 弟子のグロトフスは,この曲に対する「お返し」のような形で,「受け取った喜びのロンド」という曲を作っている。ただし,こちらは「大したことない作品」とのこと。

という大変面白いエピソードです。短調のロンドというとモーツァルトの曲などを思い出しますが,ちょっとミステリアスな悲しみの表情をたたえたロンドというのは独自の作風だと思います。

最後に「スペインのフォリア」による12の変奏が演奏されました。主題自体は同じなので,どう変奏するかで各作曲家の個性が出ます。C.P.E.バッハについては,「通常,変奏曲の場合段々と音が細かくなっていくものだが,そうならない。何をやらかすか分からないのがC.P.E.バッハ」とのことです。ただし,今回聞いた感じでは,そこまではよく分かりませんでした。

最後に「今回の公演のタイトルに「クリスマス」という言葉が入っていますので」ということで,アンコールとしてライネッケのクリスマス・ソナチネの第1楽章が演奏されました。最初,J.S.バッハのクリスマス・オラトリオの第2部のモチーフが出てきた後,途中から「きよしこの夜」のメロディが入ってくるという曲でした。

「お見事!」という感じの絶妙の選曲でした。それと,「きよしこの夜」がクリスマスで歌われていたということに,妙に感動しました。

今回の演奏会は,小さな音の楽器を耳を澄まして聞くという形で,さすがにちょっと疲れましたが,小さな音への無限のこだわりのようなものを感じることができ,新鮮な気分になりました。クラヴィコードの場合,本当は「自分で演奏する」ぐらいの距離感がいちばん良さそうですが,この楽器の魅力の一端に接することのできた演奏会でした。

それにしても,小林道夫さんは,昔からお変わりがありません。かなりご高齢のはずですが,演奏もトークも,弛緩したようなところが全くなく,抑制の効いた穏やかさの中に知的な味わいが溢れていました(変わらないという点では,秋山和慶さんと双璧かも)。演奏自体に加え,そのユーモアを交えた冷静さにも感嘆しました。今回は,ほぼレクチャーコンサートという感じでしたが,小林さんのトークによる,今回のようなスタイルの(今度はチェンバロでもよいと思います)演奏会は,是非,シリーズ化してほしいな,と思いました。

(2014/12/21)





公演のポスター


もう一枚。今回はスターバックスではなく,「nico and ....」 のコーヒーの販売も行っていました。この際,演奏会のイメージに合った,雑貨販売なども行ってもらっても面白いかも。


この日はサイン会に参加する予定はなかったのですが...今回演奏されたフランス組曲第5番(チェンバロによる演奏ですが)の収録されたCDを販売していたので購入して,サインをいただきました。