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MUSEUM CONCERT 平井み帆チェンバロ・コンサート 鍵盤音楽でたどる「高山右近とその時代」
2015年1月12日(月祝)13:30〜 石川県立美術館ホール

フレスコバルディ(1583〜1643)/トッカータ第9番
カベソン(1510-1566)/フォーブルドン,装飾付きのパヴァーナ
フィリップス(1560/1〜1628)/ローマ人ジュリオによるアマリッリ
フレスコバルディ(1583〜1643)/フォリアによる変奏曲
スヴェーリンク(1562〜1621)/涙のパヴァーヌ
ツィポーリ(1688〜1726)/ヴェルソ1,2,4
スカルラッティ,D.(1685〜1757)/ソナタ ニ短調 K.213 アンダンテ
ソレル(1729-1783)/ソナタ ト長調 R.45 アレグロ
ヘンデル(1685-1759)/前奏曲,パッサカリア
(アンコール)ヴィンチェンツォ・ガリレイ/子守唄

●演奏
平井み帆(チェンバロ)


Review by 管理人hs  

石川県立美術館で行われている「高山右近没後400年記念  高山右近とその時代」の関連企画として,美術館内のホールで行われたミュージアム・コンサートを聞いてきました。

高山右近(1552〜1615)は,織田信長,豊臣秀吉に仕えた武将で,キリシタン大名として知られています。1587年,秀吉がキリシタン禁令を出した際に,棄教を拒否したため領地を没収され,翌年,前田利家によって金沢に迎えられています。その後は加賀藩2代藩主・利長により家老としての扱いを受け,金沢城修築などに手腕を発揮しました。

最終的には1614年に徳川家康の禁教令によってマニラに追放されるのですが,晩年の26年間は金沢で過ごしたことになります。右近は,千利休の高弟ということで,茶の湯に関する遺品もあるようです。この展覧会の内容は,右近に関する茶道美術,西洋文化の影響を受けた16〜17世紀の南蛮美術などが中心のようです(すみません,まだ観ていません)。

演奏会前半のプログラムは,日本人が初めて本格的な西洋音楽に出合ったこの時代,一体どういう音楽が演奏されていたのだろうか,という観点から選曲されました。後半はその100年後ぐらいの18世紀におけるキリスト教と音楽家との関わりに注目したプログラムが演奏されました。

プログラムのコンセプトがしっかりしている上,チェンバロ奏者の平井み帆さんの解説が大変分かりやすかったので,実際に音を聞いて,楽しみながら音楽史の知識も得ることができました。興味深かったのは,右近の礼拝堂が「この石川県立美術館付近にあったかも(確かではないそうですが)」ということです。「400年ほど前にこの場所で演奏されていた可能性がある」と考えると,夢も広がります。チェンバロの音はあまり大きくなく,ダイナミックレンジも広くないのですが,そのことが空想する余地を広げていたと思いました。

というわけで,平井さんのレクチャーの内容を交えながら紹介しましょう。

フレスコバルディ(1583〜1643)/トッカータ第9番
フレスコバルディは,イタリアの作曲家で20代でヴァチカンのオルガン奏者に。この曲は,1615年,右近が亡くなった年にローマで出版された作品。「トッカータ」というのは,もともとは「触る」という意味で,拍が自由で,指ならしのように即興的に演奏する曲を指すようになった。

カベソン(1510-1566)/フォーブルドン,装飾付きのパヴァーナ
スペインで活躍した作曲家・オルガン奏者。グレゴリオ聖歌などの宗教曲に和音を付けたのがフォーブルドン。とてもきれいな曲でした。後半のパヴァーナは,当時流行のダンス。聞いた感じは,ラ・ラフォリア的な熱い感じがありました。ザビエルが日本に伝えて,「もしかしたら日本の少年も弾いていたかも?」という作品です。

フィリップス(1560/1〜1628)/ローマ人ジュリオによるアマリッリ
ロンドンに生まれた,カトリック系の作曲家。当時のイギリスは英国国教会の時代で,住みづらかったので,ローマに移住し,そこで,新しい音楽を吸収した。その後,ブリュッセルに移り,アルベルト大公のオルガニストになる。この曲は,当時流行していたジュリオ・カッチーニの「アマリリうるわし」をチェンバロ用に編曲した曲。どこか,日常とは別のゆったりとした時間が流れているような曲でした。

フレスコバルディ(1583〜1643)/フォリアによる変奏曲
「フォリア」は当時流行した「狂ったように踊る」ダンス。ただし,当時のネーミングは結構いい加減で,この曲はおなじみのラ・フォリアのメロディの変奏曲ではなく,「信者」という歌の変奏曲とのことでした。そのせいか,狂った感じよりは,どこか親しみやすいダンスに感じました。

スヴェーリンク(1562〜1621)/涙のパヴァーヌ
オランダを代表する作曲家。この曲も当時流行していた,ダウランドの「流れよわが涙」による作品。この曲は,スティングがカバーして有名になった。当時の不安定な世相を反映して,「地獄の中で一人でいる方が良い」といった,ものすごく暗い歌詞の作品。

ここで休憩になりました。次の写真は終演後の風景ですが,近くでチェンバロを眺めている方もいらっしゃいました。



後半は,高山右近の100年後ぐらいの時代でのキリスト教と音楽との関わりをテーマに選曲されました。

ツィポーリ(1688〜1726)/ヴェルソ1,2,4
イタリアのトスカーナ地方の人で,ローマのジェズ教会で演奏していた奏者。その後,宣教のため南米に渡り,アルゼンチンで亡くなった。南米には当時最先端の作品が伝えられており,近年,「南米のバロック」は注目されているとのこと(アマゾンの奥地のトイレの中で楽譜が見つかったこともあるそうです。)。この曲は典礼用の作品で,短い曲が3曲演奏されました。

ちなみにツィポーリが活躍していたジェズ教会は,平井さんが「ローマの中でも特に好きな場所」とのことです。夕方になるとロヨラ像がライトアップされるのがとても美しいそうです。嬉しそうに語るのを聞くだけで,行ってみたくなりました。

スカルラッティ,D.(1685〜1757)/ソナタ ニ短調 K.213 アンダンテ
28歳でヴァチカンのジュリア礼拝堂の学長となるが,賭け事の借金が原因で,ポルトガルに移り,8歳の王女マリア・バルバラのチェンバロの先生となる。その後,マリア・バルバラはスペインに嫁ぎ,スカルラッティも一緒にスペインへ。スカルラッティは,一生,そのレッスンのために566曲も作品を書き続けた。

彼がスペインに行ったのは正解だった。スペインは,アラビアやイスラム教の影響を受けており,音楽もヨーロッパとは違ったムードを持っていた。教会用に音楽を書くよりは面白い曲を書くことができたのではないか。

このニ短調のソナタは,大変深い情緒をもった作品で,途中から少し明るくなるのが魅力的でした。前半の100年後ぐらいの作品ですが,聞きながら「今の時代に近づいたなぁ」と感じました。

ソレル(1729-1783)/ソナタ ト長調 R.45 アレグロ
スカルラッティのチェンバロの弟子で,マドリッドのエル・エスコリアル(世界遺産になっているそうです)の修道士でもあった作曲家。この曲は,元気よく親しみやすい作品で,聖職者とは思えない親しみやすさがありました。曲の感じもどこか古典派の曲に近い印象を持ちました。

ヘンデル(1685-1759)/前奏曲,パッサカリア
トリに登場したのがおなじみのヘンデル。ヘンデルは教会に雇われたことはなく,フリー音楽家のハシリと言える作曲家。ハノーヴァーの宮廷音楽家のままで,イギリスに渡り,そのまま帰化した。

この曲は,前奏曲(=トッカータ)の後,4小節の和音からなるテーマと16の変奏が続く作品です。今回は,各変奏で繰り返しを行い,2回目は平井さんがさらに変奏を行う,という魅力的な演奏となっていました。トリに相応しく,装飾的な華麗さに溢れた演奏でした。

アンコールでは,再度,高山右近の時代に戻り,有名な天文学者,ガリレオ・ガリレイの父のヴィンチェンツォ・ガリレイの作った子守唄が演奏されました。「どういう曲なんだろう?」と思って聞き始めると,レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲の中の有名なシチリアーノでした。

こうやって,16世紀から18世紀に掛けてのチェンバロ音楽を解説付きで聞くと,大変,優雅な気分になります。今回,平井さんは,各作曲家についてエピソードを交えて紹介されていましたが,そのお蔭で,立体的に曲を楽しめた気がします。それと感じたのは,当時の作曲家は結構インターナショナルだということです。今のEUにつながるような人の動きというのはこの時代にすでに出来ていたんだなと感じました。

石川県立美術館では,以前からよく小林道夫さんらによるチェンバロの演奏会を行っていました(チェンバロを所蔵しているのだと思います)。石川県立美術館のような「静かな大人の雰囲気の美術館」でチェンバロを聞くというのは,実は大変贅沢なのではないかと思います。というわけで,これからも,この美術館でのチェンバロ・シリーズに期待しています。

(2015/01/24)





展覧会のポスター


石川県立美術館の外観


入口には正月飾りがまだ飾られていました。


美術館内の吹き抜け。この下のソファーコーナーは,とてもゆったりと座れるので,お気に入りのコーナーです。


こちらはお隣の石川県立歴史博物館。現在改装中ですが,どうリニューアルするのか楽しみです。


終演後,広坂を降りて,香林坊方面へ。この坂を徒歩で降りていくのも好きです。

兼六園の真弓坂口。何かの旅番組で,ここで待ち合わせをするシチュエーションがありました....が,実際にはあまりないですね。


その後,香林坊アトリオへ。この日は全国高校サッカーの決勝戦。パブリックビューイングをやっていたようです。ただし,もう終わっており,なぜか全日本の遠藤選手が映っていました。い


結果は星稜高校優勝でした。おめでとうとざいます。