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フィガロの結婚:庭師は見た! 全国共同制作プロジェクト金沢公演
2015年5月26日(火)18:30〜 金沢歌劇座

モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚:庭師は見た!(新演出)(全4幕,字幕付 原語&一部日本語上演)

●演奏・キャスト
総監督:井上道義,演出:野田秀樹

井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサートミストレス:アビゲイル・ヤング)
声楽アンサンブル:新国立劇場合唱団メンバー,演劇アンサンブル
合唱:金沢フィガロ・クワイヤー

アルマヴィーヴァ伯爵:ナターレ・デ・カロリス
伯爵夫人ロジーナ:テオドラ・ゲオルギュー
スザ女(スザンナ):小林沙羅
フィガ郎(フィガロ):大山大輔
ケルビーノ:マルテン・エンゲルチェズ
マルチェ里奈(マルチェリーナ):森山京子
バルト郎(ドン・バルトロ):森雅史
走り男(バジリオ):牧川修一
狂っちゃ男(クルツィオ):三浦大喜
バルバ里奈(バルバリーナ):コロン・えりか
庭師アントニ男(アントニオ):廣川三徳


Review by 管理人hs  

5月のラ・フォル・ジュルネ金沢明け初のオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の公演(クリス・ハートとの共演は除く)は,井上道義音楽監督指揮,野田秀樹新演出によるモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」でした。

この公演については,日本を代表する演出家,野田秀樹さんが「フィガロの結婚」を初めて演出し,井上道義さんと共演するということもあり,新聞,雑誌,インターネット上のニュースなどで多数取り上げられていました。「庭師は見た!」とテレビの2時間サスペンス・ドラマ風のサブタイトルを付けていたり,日本人歌手が担当する役名を「スザ女」「フィガ郎」という具合に「やや日本語」っぽくしている点など,「いかにも野田さんらしい遊び心」が上演前から伝わってきました。

幕末長崎を舞台として,異国から来た伯爵夫妻と日本人とが絡むという設定で,この役名どおり,日本人歌手は基本的に日本語で,海外から来日した3人の歌手は原語(イタリア語)で歌うバイリンガル・オペラとなっていました。このパターンは,過去OEKが上演してきた,「こうもり」「メリー・ウィドウ」などと同様の発想で,日本人歌手との間の「違和感」が作品の立体感につながり,異文化が混ざりあう面白さが伝わってきました(ただし,当時の長崎でイタリア語が通じたかは疑問ですが)。

ケルビーノ役のマルチン・エンゲルチェズさんはカウンターテナーだったので,「男性がケルビーノを演じる」という点で,ある意味リアルな設定になっていました。女装するカウンターテナーということで,演技の面でも声の面でも不自然さが残っているのが面白さになっていました。

セリフ部分とは別に,有名なアリアはイタリア語で聞かせてくれましたので,音楽的な面では「オリジナル通り」でした。アリアに合わせて,役者たちによるマイムが色々と入るのも面白く,イマジネーションを大きく広げてくれました。

全体の進行については,庭師アントニオをナレーターにすることで,オリジナルのレチタティーヴォを少なくしていたのが特徴でした。ナレーションが文楽調になり,歌手たちが文楽の人形のように動いたりする場面があったのも面白かったですね。

舞台については,中が空洞になった3本の柱をうまく使っていました。「フィガロ」については,どの幕も「物陰に隠れる」シーンが多いので,大変効果的でした。その他,演劇アンサンブルのメンバーが長い棒やリボンを持って,それを組み合わせることで,各場面を象徴的に表現していました。

このように,レチタティーヴォがほとんどなく,大きな場面転換もなかったこともあり,大変スピーディに場面が展開していきました。私自身,これまで野田さん演出の演劇を観たことはなかったのですが,そのアイデアのエッセンスが詰め込まれた上演だったのではないかと思いました。ただし,個人的にはやや消化不良の部分が残りました。この点については後述しましょう。

金沢歌劇座の舞台には幕はなく,上演前には,その代りに長い竹竿のようなものを交差させたものがステージ前方に立ててありました。開演5分ほど前になると,庭師アントニ男が登場し,パチン,パチンと剪定作業のマイムを始めました。



井上道義さんが登場し(舞台下からではなく,通常の袖の方から登場していましたね),序曲が始まると,ステージ上では,伯爵が黒船でやってきて,その中からスザン女を見初めるようなマイムが展開され,オペラの前段部分が表現されていました。この序曲はOEKの十八番の曲です。バロックティンパニのカラっとした音を聞かせ,心地よくドラマが始まりました。

第1幕の最初は,日本人だけの場ですので,日本語の歌詞で始まりました。それにしても「三尺,四尺...一間」と歌われると,かなり不思議な雰囲気になります。この辺はちょっと歌手とオーケストラのテンポ感が合わせにくそうな感じでしたが,段々と調整されてきました。

フィガ郎とスザ女は,大山大輔,小林沙羅の若手歌手2人で若々しく新鮮な気分が伝わってきました。このオペラは,実はスザンナの方が”出ずっぱり”のようなところがあります。特に小林さんの明るい表情がオペラ全体を爽やかなものにしていたと思いました。幕が進むにつれ,どんどん声の魅力が増してくるようで,「伯爵がスザンナに惹かれるのももっともかも」などと思ってしまいました。

その後,敵役のバルト郎とマルチェ里奈の2人が登場します。バルト郎役の森雅史さんは高岡市出身ということで,金沢でもお馴染みの方です。バルト郎のアリアは,ややテンションが低い気がしましたが,日本語で聞くと,どこか牧歌的に聞こえるのが面白いと思います。

マルチェ里奈の森山京子さんは,そのキャラクターにぴったりのしっかりとした声で,アクの強さをしっかり印象づけてくれました。スザ女とマルチェ里奈(実ハ姑)が,互いに慇懃無礼に悪態を付あう二重唱では,「ババア」などと書かれた傘が背景にパッ,パッと開き,やや趣味は悪いけれども,ステージが一気に弾みました。

ケルビーノが登場すると,アントニ男が「この字幕装置は大変便利です。イタリア語を翻訳をしてくれます」といった説明をし,この辺から原語中心に切り替わりました。この字幕装置はなかなかの優れもので,この場面で「キラッ」と光ったりしていましたが,その後も「小型スクリーン」として活躍をしていました。

ケルビーノ役のマルテン・エンゲルチェズさんはカウンターテナーで,かなり長身の方でしたので,メゾ・ソプラノが演じる場合とは違った,リアリティと違和感が混在した雰囲気を醸し出していました。エンゲルチェズさんの声質は,美声という感じではありませんでしたが,男性が女声を出すという不思議さがケルビーノの不安定な気分に合っていると思いました。

ケルビーノが歌う時は,全身白タイツ(?)のような役者が2,3人背後で踊っていました。エロスの神の背後霊という感じで,歌のイメージを大きく広げてくれました。

アルマヴィーヴァ伯爵が乱入してきて,ケルビーノが隠れて...というシーンでは,ケルビーノは何とトラ柄の敷物の下に隠れていましたが,こういうセンスも野田さんならではかもしれません。その他,ピンクのリボンで四角い枠を作って,「現場」を目撃されて,カメラで撮影されるのを表現していたり,小道具の使い方が面白いと思いました。

バジリオは「走り男」ということで,なぜか「茶坊主」という設定になっていました。バルト郎,マルチェ里奈と合わせて,「バカ3人組」という身も蓋もないようなネーミングで呼ばれていましたが,そういった一つ一つのネタの積み重ねが野田さんの世界なのかもしれませんね。

第1幕切れのフィガロの「もう飛ぶまいぞ,この蝶々」は大変軽快でした。フィガロ役はバスとなっていることも多いのですが,イメージとしては,テノールのような印象を持ちました。そこが新鮮でした。

その後,第2幕になりますが休憩なしで,そのまま伯爵夫人が登場しました。テオドラ・ゲオルギューさんは,絵に描いたような伯爵夫人といった雰囲気の方でしたが,私のイメージとしては,「やや若い?」という印象を持ちました。伯爵夫人としては,もう少し声の貫禄のようなものも欲しいかなと思いました。

伯爵夫人は,襟が立ったような結構派手な衣装を着ていましたが,途中,歌舞伎を思わせる所作をする場面があったりして,衣装と合っているなと思いました。ケルビーノの歌う「恋とはどんなものかしら」は,伯爵夫人に対するちょっと困った恋愛の気分をフツフツと感じさせてくれました。

第1幕に続いて,「部屋の中でのかくれんぼ」みたいなシーンが出てきますが,今度は,中が空洞になった柱を利用してのナイフを箱に突き刺していくマジックのようなシーンが出てきて,笑わせてくれました。その他,なぜか背景の役者さんが続々と皿回しをしながら登場したりして,ムダに(?)ハラハラさせてくれるのが野田さんらしいと思いました。

第2幕切れのアンサンブル・フィナーレは,「フィガロの結婚」のお楽しみの場ですね。ここでは一人ずつ人物が加わっていって,最後は,伯爵を中心に「3バカ」対「フィガ郎,スザ女,伯爵夫人」というという構図になっていました。ちなみに今回,アントニ男役の廣川三憲さんだけは,歌手ではなく役者さんだったこともあり,この部分ではちょっと声質的に浮いているように感じました。その点はもう一工夫欲しいと思いました。

オーケストラの演奏の方は,井上さんならもう少し弾んで欲しいかなと思ったのですが,この場でも小道具の使い方が冴えており,一瞬にして法廷の雰囲気を鮮やかに表現していました。

25分の休憩に続き,後半の第3幕+第4幕が始まりました。

最初は伯爵のレチタティーヴォで始まるのですが,その辺をすっかりカットし,アントニ男がこれまでの展開をレビューした後に,文楽風の雰囲気になりました。伯爵夫人のゲオルギューさんを始め,歌手の皆さんも文楽の人形の動きをしているのが面白かったですね。これを見ながら,「文楽風オペラもアリかも?」と思いました(特に大阪付近で試して欲しいですね)。

その後,伯爵とスザンナによる「ニセの愛の二重唱」になりますが,とても声の良い取り合わせが良いと思いました。ここでも小道具の使い方が面白く,歌い終わった後,演劇アンサンブルの人たちが持っていた赤い棒がうまく組み合わさって,一瞬にして神社の鳥居が出現し,2人揃ってパンパンとお参りするという予想外の展開になりました(なぜ,神社なのかというのは,考えてみれば謎ですが)。ナターレ・デ・カロリスさんは,「悩む伯爵」をじっくりと演じており,今回の「フィガロ」の歌の面での大きな柱になっていたと思いました。

その後,対立していた「フィガロ×マルチェリーナ」が,実は親子だったという,コメディならではの急展開となります。この部分では,「小さい時に生き別れ...手にあざが...」といった感じで,ドラマの展開自体が大衆演劇調でしたが,それが見事にはまっていました。泥臭いのに切れ味が良く,これがオリジナルでも良いのでは,というはまり具合でした。さらに親子4人(フィガ郎,スザ女,バルト郎,マルチェ里奈)で記念撮影をして,そのポートレートが多機能字幕にすぐに投影されるという楽しさ。バカバカしいのだけれども,妙にあったかい気分にさせてくれました。

この妙にハマったシーンに続いて,孤独な伯爵夫人の場が続きます。暗い雰囲気で一人でお酒(?)を飲んでいる伯爵夫人が舞台奥に登場し,「なんだこの異様な感じは?」とハッとさせてくれました。前の場が弾んでいたので,孤独感が見事に伝わってきました。もしかしたら,この雰囲気が...

**** 見ていない人は読まないでください ******************************************

最後の最後の場のサプライズの伏線になっていたのかも,と後から振り返って感じました。

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その後の「手紙の歌」の場では,ここでも背景にマイムのダンサーが登場し,イメージを大きく膨らませてくれました。スザ女役の小林沙羅さんの声は,ますます伸びやかさをまし,この爽やかな歌にぴったりでした。

第3幕終盤では,女声合唱の中にケルビーノとバルバ里奈が加わっている場がありますが,ケルビーノだけ異様に大きく,どうみても目立っていたので,コメディのような感じになっていました。これは,映画「お熱いのがお好き」の中に出てくるジャック・レモンの女装のイメージに似ている,と思いながら楽しんでしまいました。

その後のバレエシーンは,和風というか中国風というか長崎風というか...エキゾティックな味わいのある場になっていました。静かで軽やかなダンスシーンで,OEKの作る音楽のしっとりとした軽やかさにぴったりでした。

引き続き,第4幕になり,「熱狂の一日(La Folle Journee)」の締めの夜の野外の場になります。音楽的にもしっとりとした感じに移り変わっていくのが好きなのですが...今回の野田さんの演出の場合,その時間的な雰囲気の変化はあまり感じられなかった気がします。

最初にバルバ里奈が,短いが印象的な歌を歌います。コロン・えりかさんの声には,悲しい透明感があり大変魅力的でした。セリフの方も意味深でした。ただし,”ピン”を探している意味がちょっと分かりにくい気がしました。

第4幕では,マルチェ里奈のアリアなどがカットされていましたが,このアリアはカットされる方が慣習になっているようです。

オリジナルでは「庭の四阿(あずまや)で密会」ということになっています,野田さんの演出では,「ここは鍋でしょ」という感じで,密会して鍋を食べるという設定になっていました。熱い鍋は,具や汁が「凶器」になるので,結構ドタバタした感じになっていました。

4幕では,フィガ郎とスザ女のアリアがそれぞれの聞きどころになります。レチタチーヴォは日本語,歌はイタリア語になっており,それぞれしっかりと聞かせてくれました。特にスザン女のアリアは,個人的に特に好きな曲です。小林沙羅さんの凛とした美しさと落ち着きのある声は,この場面の雰囲気にぴったりでした。

そして,伯爵夫妻の見せ場になります。今回の野田秀樹版「フィガロ」は「わかりやすい」という触れ込みでしたが,この辺はさすがに複雑でしたね。

伯爵の方は,「伯爵夫人よ,許してくれ」とたっぷりと聞かせてくれたのですが...

**** 以下,見ていない人は読まないでください ******************************************

許された後の最後の最後の部分で,音楽が楽し気に盛り上がるところで,音楽を一瞬中断するように,パーンというライフル銃(花火の音かと思ったのですが,夫人が銃を手にしていましたね)の音が鳴り,それを突っ切るように音楽が続き,全曲が終わりました。

この部分があったので,「すっきり感」が無くなってしまいました。なぜ伯爵夫人はここで銃を鳴らしたのだろうか(前の方の幕でも銃を手にしていたので,唐突感はなかったのですが...理由がよく分かりませんでした)? 伯爵と夫人は最後の場面で手と手を取り合わなかったので,仲直りはしなかったのか?

何よりもモーツァルトの音楽の流れが中断されたのが残念でした。この部分での,ピーヒャラ,ピーヒャラという感じで楽天的に終わる感じが大好きだったのでかなり肩すかしを食わされた感じです。

ただし,この辺の「裏切り」も野田さんの策略なのだと思います。

というわけで,いろいろな面で冒険的な楽しさを感じさせてくれる「フィガロ」だったのですが,最後はちょっとほろ苦く,個人的には,やや消化不良気味に感じました。「普通のフィガロ」を実演でほとんど見たことのなかった私にとっては,やはり,まずは「普通の終わり方」で見たかったかな,というのが正直なところです。

野田さん自身,インタビューの中で「ブーイングも覚悟」と書かれていましたので,これからの全国ツァーでもいろいろと物議をかもすことでしょう。

(2015/05/30)







公演のポスター


公演前の金沢歌劇座前


ホール入口


野田さんと井上さんが表紙になっている,ぶらぁぼの最新号が山積みになっていました。


この公演は,メディアにも沢山紹介されていましたね。