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日比谷公会堂リニューアル前ファイナルイベント企画 ショスタコーヴィチ第9番・第15番演奏会
2016年2月13日(土)15:00〜 日比谷公会堂(東京都)

1) ショスタコーヴィチ/交響曲第9番
2) ショスタコーヴィチ/交響曲第15番

●演奏
井上道義指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(コンサートマスター:西江辰郎*1;崔文洙*2)



Review by 管理人hs  

1929(昭和4)年に開設され,86年の歴史を持つ東京都千代田区にある日比谷公会堂が耐震化等に伴う大規模改修の工事のため,一時休館することになりました。その改修前の最後のイベントとして,井上道義指揮新日本フィルハーモニー交響楽団による「ショスタコーヴィチ交響曲第9番・第15番演奏会」が開催されました。

実は,この演奏会は,「500組1,000名を招待」ということで,当選覚悟(?)で応募したところ,やはり当選したので(右の写真のとおり),北陸新幹線に乗って,日帰りで聞いてきました。 

演奏会自体は「無料」でしたが,往復で2万5千円かかったことになります。しかし,その価値は,それ以上だったと思っています。日本でクラシック音楽(特にオーケストラ音楽)の演奏会が行わなわるようになった草創期の雰囲気を残す「日本音楽遺産」のような場所だと実感しました。

この日は14:00開場でしたが,その前に着いたので13:30頃に行ってみると,すでに長い列が出来ていました。列の中には高齢の方が多く,色々な思い出をお持ちの方が集まっていたのだと思います。

  
日比谷公園の奥立っていました。逆光ですが屋上の文字の看板が特徴的でした。

予定より少し早く,14:00前に開場になり,いよいよ中に入りました。まず,入口に至るまでの階段が大変な急勾配でした。「入る」というよりは「登る」という感じの「敷居の高さ」は,ホールというよりは「殿堂」という感じです。



建物に入ると天井はかなり低く,頭上注意という案内が出ている場所が沢山ありました。





ホールに入ると(私は2階席の前方でした),やはりかなりの急勾配で,しかも隣の座席との間隔が狭かったですね。ひじ掛けがない,というのも現在のホールでは考えられないことです。しかし,ステージまでの距離は近く,2階席からは大変見やすいと思いました。




今回は,日比谷公会堂の「大トリ」のような公演でしたが,それに選ばれたのが,ショスタコーヴィチというのも納得でした。今回の企画は,日比谷公会堂を熱心に支援している井上道義さんによるものだと思いますが,その音を聞いてぴったりだと思いました。この「時代遅れ」のホールでショスタコーヴィチの全交響曲の演奏会を行うという挑戦を行ってきて,成果を出した井上さんならではの選曲だと思いました。

前半,交響曲第9番の最初の音が聞こえてくると,その音が生々しく(デッドな響きと言って良いと思います),各楽器の音がくっきりと聞こえてきました。演奏者側からすると,粗が全部聞こえてしまうという怖さがあると思います。

現在の音楽専門ホールの多くは,もっと残響時間が長く,各楽器の音が溶け合って聞こえ,心地よく音に浸らせてくれます。日比谷公会堂の場合,音が「ピリッ」と飛んでくる感じで,曲によっては合わないと思うのですが,旧ソヴィエト連邦時代を生き抜いた,一筋縄ではいかない,ちょっとシニカルな雰囲気を持ったショスタコーヴィチの音楽には,ぴったりだと感じました。

第9番の第1楽章の冒頭から弦楽器の軽快な音の刻み,ピッコロの音が臨場感たっぷりに聞こえる中,トロンボーンが「お呼びでない?」という感じで入ってきます。このトロンボーンは,意図的に”場違い”な感じを出すために使われているのですが,このホールだと無理に強調しなくても,自然に強調されて聞こえるようなところがあり,非常にとぼけた感じに聞こえました,

途中出てくる,独奏ヴァイオリンは,前半のコンサートマスターの西江辰郎さん(以前,仙台フィルのコンサートマスターでしたね)が担当でしたが,ギシギシと音が聞こえるのがこのホールらしいところです。この曲はもともと好きな曲なのですが,特に井上道義さんのキャラクターに合っている曲だと思います。全体的な雰囲気は,ピリッと引き締まっていましたが,テンポ自体は中庸で,ベースとしては古典的な交響曲を聞いている感じがします。その上でオーケストラの各楽器が,自在にそれぞれのキャラクターを演じているような雰囲気があるのが面白いと思いました。第1楽章の最後は,ビシっと「残響ゼロ」で終わり,身が引き締まる感じでした。

第2楽章はクラリネットの独奏で始まりましたが,このホールで聞くと,何とも言えない心細さや孤独感が出てくると思いました。続いてゆっくり上行していくようなメロディが弦楽器に出てきますが,これにもゾクゾクするようなムードがありました。

第3楽章は,軽やかに走る楽章で,井上さんお得意の”踊る指揮”が出てきました。途中に出てくる,小太鼓の刻むリズムの上でトランペットが高らかにメロディを演奏する部分が印象的ですが,どちらも音がクリアなので,冷たく光るようなクリアさを感じました。

第4楽章は第5楽章の前奏のような感じですが,まずトロンボーンとテューバの堂々とした音がバーンと生々しく聞こえてきました。暴力的ではないけれども,息の音が聞こえるような生々しさがありました。シンバルの音も大変クリアでした。続いてファゴットが出てきて,次の楽章につなぐのですが,その,ちょっととぼけた味わいをしっかり楽しめました。

第5楽章はじっくりとしたテンポで始まった後,笑いがこらえきれなくなり,さらには笑いが止まらなくなる...といったユーモアを感じさせてくれる演奏でした。この辺でのユーモラスな聞かせ方は井上さんならではだと思いました。最後,テンポがどんどんアップして,軽快に終わるのですが,曲が終わった瞬間にクルッとお客さんの方に向いて,「してやったり」という感じでアピールするあたり,井上さんらしさが炸裂していました。

 
ステージ最前列には,レコーディング用のマイクが出ていました。

この日の演奏も含め,「全集」がEXTONから発売されるようです。

後半に演奏された交響曲第15番は,生で聞くのは今回が初めてでしたが,第9番と似た感じの軽快さがあり,力で圧倒するというよりは「色々な仕掛けで聞かせる」といったところがあります。さらに「最後の交響曲」らしい「意味深」な雰囲気も持っています。

楽器編成としては,多くの打楽器が加わり,特にグロッケンとかチェレスタとか金属的な鍵盤打楽器が活躍するのが特徴です。第1楽章の冒頭から,グロッケンの音で始まります。続いて出てくるフルートの音にも怜悧さがありました。しばらくすると,突如ロッシーニに「ウィリアムテル」序曲の運動会などでおなじみの「有名なモチーフ」が結構ストレートに出てきます。「ショスタコーヴィチは一体何を考えているのだろう」という使い方ですが,楽章を通じて何回も出てくるので,どこか妄想に取り憑かれたような病的な感じに聞こえてきます。

この曲でもヴァイオリンの独奏が入りましたが,こちらは後半のコンサートマスターの崔文洙さんが担当していました。前半と後半で,コンサートマスターが違うというのは,メモリアルなコンサートならではの贅沢さかもしれません。楽章を通じて,子供時代の記憶にずっと取り憑かれているような不気味さが残る演奏だったと思います。

第2楽章は,金管楽器のアンサンブルによるコラール風のモチーフで始まります。その整ったバランスの良い響きに続いて,独奏チェロによる悲し気な音楽が続きます。ここでも音がリアルに迫って来て,深い孤独感を感じさせてくれました。これらが繰り返された後,金管楽器を中心としたしみじみとした葬送行進曲のようなムードになります。ちょっとマーラーの交響曲第5番の第1楽章を思わせるところがありました。

この楽章でも各楽器がソロで活躍する部分が多いのですが,音が生々しく伝わってくる分,その演奏がとても人間的に感じられました。途中,打楽器が盛大に加わって大きく盛り上がる部分では,耳を刺すような鋭さを感じましたが,最後には静かな安らぎのある世界に戻っていくようでした。

第3楽章はどこか不気味さのあるスケルツォ的な楽章でした。後半では,ソロ・ヴァイオリンも大活躍で,ちょっと協奏曲のような感じもありました。第4楽章は金管楽器がワーグナーの「ニーベルングの指輪」の中のライトモチーフを演奏して始まります。調べてみると「運命の動機」とのことです。このモチーフは,どこか第2楽章最初の金管楽器のエコーのようなところもありました。

しばらくすると非常に清らかな感じのメロディが弦楽器に出てきます。全楽章を通じてみると,本当に色々な要素が詰まった曲です。この曲の解説などを読むと,自作からの引用も多いとのことで,不思議なムードの中に自分の作曲家人生を詰め込んだような作品と言えるのかもしれません。

途中大きく盛り上がった後,最後の部分では,人生が別の段階に進んだような感じで不思議なムードに入って行きます。弦楽器が静かにロングトーンを演奏する上で,ウッドブロック(?)やチェレスタなどの打楽器がひっそりとカチカチとした感じでいろんなモチーフを演奏していきます。

透き通った透明感の中で,ちょっと雑念がチラつきつつも人生の最後の時を刻んでいる。そういった気分のある演奏だったと思います。この謎めいた終わり方の意味を解釈するのは,なかなか難しいのですが,その「隠しつつ表現する」雰囲気がショスタコーヴィチの交響曲作曲家としての最後の境地だというのは,面白いと思いました。

井上さんの晴れやかな表情も印象的でした。演奏後,盛大な拍手が続き,アンコールを求めるような手拍子気味になったのですが,アンコールはなく,井上さんの合図のもと,オーケストラ全員による「サヨナラー」の合唱で演奏会はお開きとなりました。

 終演後の様子

日比谷公会堂もショスタコーヴィチも,戦争のあった時代をくぐり抜けながら,音楽を継続していた点で共通性があると思います。このホールには,そういう「過去の空気」が残っているような気がします(そう思いたい,というだけかもしれませんが)。ショスタコーヴィチの最後の交響曲で,ホールの最後の時を刻んで歴史が一旦閉じられるというのは,素晴らしいアイデアだと思いました。やはり,15番以外の曲を「最後の音」にしたくなかったのだと思います。

ホールのリニューアル後は,その「過去の空気」はなくなっていると思うのですが,その代わりに,また新たな時を刻み始めることでしょう。
 会場を後にするお客さん

この日のお客さんの中に黒柳徹子さんが来ていらっしゃったのも素晴らしかったですね。井上さんは,幕間のトークで,突如2階席最前列の真ん中に座っていた黒柳さんに呼びかけ,「徹子さんのご両親が出会ったのがこの日比谷公会堂でした。このホールが無ければ徹子さんは生まれてこなかった?」と言われていました。この日来ていた,特に年輩のお客さんの中にも,色々な思い出が詰まっていたことでしょう。

 
追っかけをしているわけではないのですが,終演後会後,黒柳さんが楽屋口から出てこられました。それにしても急な階段です。



その後,車で帰っていかれました。

日比谷公会堂に行くのは,今回が最初で最後になったのですが,その最後の最後にこのホールでショスタコーヴィチを聞くことができて,本当に良かったと思いました。井上道義さんの日比谷公会堂に対する思いとショスタコーヴィチに対する思いをしっかり受け止めることのできた演奏会でした。



今回は「最初で最後+お上りさん気分」ということで,ご覧のとおり,写真を多数撮影してきました。この日は約1時間前に入場し,かなり時間があったので,その期間を利用して,さらに撮影してみましたので,以下紹介しましょう(支障がありましたら,ご連絡ください)。


オノ・ヨーコさんからの花が届いていました。オノさんの曽祖父の安田善次郎氏の寄付金により,日比谷公会堂は建設されたとのことです。


こちらはNHKから。そういえば,少し前に井上さんはこの番組に出演されていましたね。ちなみにこの日は,テレビ朝日の「題名のない音楽会」も取材していたようです。


次のページによると,このレリーフは当時の東京市長,後藤新平のレリーフのようです。
http://www.yasuda-re.co.jp/yasuda/meguri/06.html



この日の2階ロビーには,2007年のショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト関係の写真が沢山掲示されていました。







アコーディオンを弾いているのは,懐かしの横森良造さんですね。

さらに館内を探検。


頭上注意の場所が沢山ありました。


一瞬,「ヘタ」と呼んでしまいました。

窓の外を見ると....

新日本フィルのトランクが停まっていました。

1階席に降りてみました。

客席の方を見上げてみました。


壁についていたマーク。何のマークでしょうか?


ステージの正面上部にあったのは,明治時代に決められた東京都の紋章。次のページで分かりました。
http://www.metro.tokyo.jp/PROFILE/mon.htm


2階のいちばん上に行ってみました。故岩城宏之さんとかも,こういう席で聞いていたのかな?と勝手に想像の翼を広げてしまいました。


こちらは2階席最後列の正面から見た景色。


館内放送用のスピーカー。PANASONICではなく,ナショナルのロゴマークが付いていました。


両サイドにの階段です。ずーっと下まで階段が続いていました。「公会堂の怪人」とかが住んでいそうな雰囲気がありますね。

# ちなみにこの日は,午前中,東京都美術館で「ボッティチェリ展」を観てきました。その様子は次のページにまとめてみました。

東京都美術館でボッティチェリ展を鑑賞。その後,東京駅から日比谷公会堂まで散策。重厚な建築が多く見ごたえがありました。(2月14日)

(2016/02/20)




公演の立看板は大変シンプルなもの


公演プログラムも大変シンプルでした。



ホールの入口にはショスタコーヴィチの顔写真がありました。2つの表情を持っているのが「らしい」ところです。





しっかりOEKの東京公演のチラシも入っていました。下にあるのは,NHK交響楽団との「いざ,鎌倉への道シリーズ」の最終回公演。この公演も楽しみですね。