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ルドヴィート・カンタ バースディ・リサイタル
2017年7月9日(日) 14:00〜 石川県立音楽堂コンサートホール

バッハ,J.S./無伴奏チェロ組曲第1番ト長調, BVW.1007
バッハ,J.S./無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調, BVW.1008
バッハ,J.S./無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調, BVW.1009
バッハ,J.S./無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調, BVW.1010
バッハ,J.S./無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調, BVW.1011
バッハ,J.S./無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調, BVW.1012

●演奏
ルドヴィート・カンタ(チェロ)



Review by 管理人hs  

オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の首席チェロ奏者ルドヴィート・カンタさんによる,バッハの無伴奏チェロ組曲の全曲演奏会が石川県立音楽堂コンサートホールで行われたので聞いてきました。実は,演奏会の行われた7月9日が,まさにカンタさんの60歳の誕生日でした。そして,そのお祝いの気分に応えるような,チェロ奏者としての活動の総決算となるような,素晴らしい内容の「バースデイ・リサイタル」となりました。

バッハの無伴奏チェロ組曲は,プロのチェロ奏者ならば必ず演奏する,バイブルのような曲集です。カンタさん自身も,過去何回か演奏しており,全曲のCD録音も行っています。今回は2回の休憩をはさみ,約3時間の演奏会となりましたが,まさに熟成されたスロバキアワインといった趣きのある,味わい深い演奏を聞かせてくれました。そして,改めてこの曲集は面白いと実感できました。

この6曲は,アルマンド−クーラントーサラバンドージーグというバロック時代の組曲の「定番の配列」の最初に,いろいろな形にプレリュードが加わり,サラバンドとジーグの間に,少し新しいタイプのメヌエット,ブーレ,ガヴォットという舞曲が加わるという構成になっています。一見したところ,どれも同じように思えるのですが,今回のような形で,じっくり最初から聞いて行くと,各曲の個性が際立って聞こえました。それが全曲演奏会の面白さです。個人的な印象としては,ト長調の第1番が「春」のイメージ,ニ短調の第2番が「秋」のイメージ,ハ長調の第3番が「夏」のイメージだなと思いました。

第4番は,プログラムの解説にあったとおり,弦楽器には珍しい♭系の変ホ長調で書かれていることもあり,異次元の曲といった感じがありました。

最後の第5番と第6番については,4番までとは別格の曲だと思いました。今回は2曲ごとに休憩が入ったのですが,最後に第5番と第6番を連続してきくと,ハ短調からニ長調への暗と明の対比が鮮やかでした。

カンタさんの演奏は,ベテラン奏者らしく,バリバリと演奏するような部分はなく,どの曲についても,スッと自然に音楽に入り込み,余裕をもってバッハの音楽を粋に表現していました。その要所要所で,ぐっと沈み込むような深さがあったり,不思議な浮遊感があったり,変化に富んだ音楽を聞かせてくれました。

第1番は,ゆったりとしみじみと語り始める,といった趣きで始まりました。バリバリと流麗に演奏するという感じはなく,どこか枯れた気分も感じましたが,全曲を通じて,抑制された優しさに溢れていました。カンタさん演奏は,いつも大げさな身振りはなく,平静さを感じさせてくれます。その中に粋な感じや自在さがあります。カンタの到達した境地を実感できるような演奏でした。

ちなみにこの曲は,あまりにもさり気なく終わったので,拍手は入らず,そのまま第2番の演奏が始まりました。他の曲については,拍手が入りましたが,カンタさんとしては,拍手が入らずに一気に演奏する方が良かったのではないかと思いました。

第2番は,これまであまり聞いたことがなかったのですが,今回じっくりと聞いてみて,良い曲だなぁと思いました。プレリュードの冒頭部から悲し気で,どこかロマンティックが気分が広がり,秘めた情感が大きく広がるようでした。

これは他の曲でも同様に思ったのですが,アルマンド,クーラントとテンポが少し上がり,中盤のクライマックスを築いた後,深いサラバンドの世界に入って行く,というのがバロック時代の組曲の一つのパターンなのだと感じました。そして,この第2番のサラバンドが実に味わい深いと感じました。1歩ずつ深く自分の意識の奥の中に入り込んでいくような,自己との対話を思わせるような深い世界を感じました。

第3番も,第1番の冒頭同様に気負いなく始まった後,繊細さのある音の流れを楽しませてくれました。カンタさんの演奏には,上機嫌で明るい気分が溢れており,前向きな気分にさせてくれました。

ちなみに,この曲のブレーのメロディはとても親しみやすいのですが,いつも聞いているうちに,日本の童謡の「アイスクリームの歌(おとぎ話の王子でも...で始まる曲)」と重なってしまい,困っています。私だけでしょうか?

第4番については,上述のとおり,別世界に入ったような気分があります。この曲でも特にサラバンドでの時の流れが目に見えるような,優しく流れていくメロディが特に印象的でした。

この曲の後,30分程度の長めの休憩が入り,カフェ・コンチェルトでは,赤・白のスロバキアワインを無料で振る舞うという,素晴らしいサービスを行っていました。

 

あれだけ大勢の人がワインを飲んでいる光景を見るのも珍しいことです。OEKメンバーも大勢参加しており,とても暖かな雰囲気がありました。

全曲を通して聞いてみると,最後の第5番と第6番の聞きごたえがあると感じました。ただし...ワインを飲んだ後だったので,客席はどこか柔らかな雰囲気になっていると感じました。演奏時間的には2曲続けて演奏すると60分ぐらいになります。

第5番からは,これぞバッハという感じの深さ,渋さを感じました。今回,かなり前の座席で聞いたこともあり,演奏する際の「ノイズ」もかなり聞こえました。それと同時にカンタさんのチェロの音の深さと生で聴く楽しさを実感できました。

第5番のプレリュードは,他の曲とは違い,後半がフーガになります。1本の楽器でフーガというのは,相当大変なはずですが,カンタさんは,さりげない落ち着きと気品を持った演奏を聞かせてくれました。サラバンドは,シンプルな「線の音楽」で,何かを問いかけてくるような,しみじみとした味を感じました。最後のジーグにも暗さがありましたが,それを突き抜けたような,ほのかなロマンも漂っているようでした。

第6番からは,第5番とは対照的に,突き抜けた感じの明るさを感じました。この曲は,もともと5弦チェロという,普通のチェロとは違う楽器のために書かれた曲ということもあり,6曲の中でも特に難技巧の作品です。ずっと前にカンタさんの演奏で聞いた時も,相当苦闘しているような印象を受けたのですが,今回は高みを目指す高揚感のものが伝わってきました。プレリュードの部分での高音の繊細な動きが特に魅力的でした。

第6番のサラバンドは,第5番のサラバンドとは対照的に,しみじみとした重音が続く曲で,どこか無伴奏ヴァイオリン・パルティ―タの中の有名な「シャコンヌ」とちょっと似ているなと感じました。大げさに演奏するのではなく,個々の人に語り掛け,思いが自然と溢れてくるような感動を持った演奏でした。

最後のジーグは,やはり難曲で,思わず「あと少しだ,頑張れ」といった感じで,応援しながら聴いてしまいました。最後の音はやや力み過ぎた感じに聞こえましたが,素晴らしい達成感を感じさせてくれるようなエンディングでした。

全6曲の演奏後,当然アンコールはなく,カンタさんの娘さんから,ワインの贈呈があった後,最後は「ハッピバースディ」の合唱が自然と沸き起こりました。こちらも「無伴奏」の合唱でした。その光景を見ながら,こういう風に年齢を重ねることができたら,いいなぁとしみじみ思いました。今月は18日にカンタさんとOEKが共演し,サン=サーンスのチェロ協奏曲を演奏しますが,そちらの方も大変楽しみです。

PS カンタさんの演奏会では,毎回,アナウンスに一ひねりあります。今回は,「気持ちよく演奏会を楽しんでいただくため」という説明が続いた後,「イビキにはご注意ください」というお願いもあり,会場が沸きました。もしかしたら,ワインを飲んだ後にそなえ,実はかなり真面目なお願いだったのかもしれないですね。

(2017/07/12)





公演のポスター


入口付近には花が沢山届いていました。

カンタさんの色々な側面を紹介するような写真パネルコーナー。色々面白い写真がありました。


こちらはカンタさんへのメッセージコーナー。


これはアンケートです。今回は家族と一緒に行ったのですが,何やら熱心に書いていました。

終演後のサイン会。今回はこれまでもらい忘れていた,ハイドンとボッケリーニのチェロ協奏曲集のCDにいただきました。

ジャズ風のカデンツァが有名なNAXOSのCDですが,もう30年近く前の録音になるんですね。カンタさんが来日する前の録音です。