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アマデウスLIVE〜ムービー・オン・クラシック金沢公演
2017年11月3日(金祝)13:30〜石川県立音楽堂コンサートホール

映画「アマデウス(劇場公開版)」

1984年アメリカ映画
監督:ミロス・フォアマン 原作・脚本:ピーター・シェーファー
主演:F・マーリー・エイブラハム,トム・ハルス,エリザベス・ベリッジ
音楽:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
音楽監督・編曲:サー・ネヴィル・マリナー

●演奏
辻博之指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサートミストレス:アビゲイル・ヤング)
合唱:アマデウス特別合唱団



Review by 管理人hs  

海外で人気を集めている「アマデウスLIVE」の日本初公演が行われたので,文化の日の午後からたっぷり3時間,石川県立音楽堂で堪能してきました。この企画は,モーツァルトの生涯を,当時のライバル作曲家だったサリエリの視点からドラマティックに描いた名作映画「アマデウス」(1984年)の音楽部分をオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)が生で演奏してしまう,というすごい企画です。

サウンドトラックのうち,一人の歌手が歌っているパートやチェンバロなどを独奏している部分などを除き,オーケストラと合唱が関わっているような部分は全部,OEKと特別編成の合唱団が吹き替えていました。

既に完成されている映像に後から音を入れるということで,一体どうなるのだろう,という不安もあったのですが...驚くほど違和感を感じませんでした。これは私の座席が,いわゆる「スターライト席」(3階のバルコニー席)だったことにもよるのかもしれません。大変良いバランスでした。そのため,うっかり(?)映画のストーリーにのめり込んで,生演奏だということを忘れてしまいそうな部分もありました。

私にとっての唯一の問題点は,やはりバルコニー席だったことです。約3時間斜めになって「台形補正」しながらスクリーンを観るのは,少々辛いところがありました。ちなみに,映画の中で,サリエリがオペラを観る時はいつもバルコニーだったので,良く言えば「サリエリ気分」を味わったとも言えます。

まずはこの職人芸的なアフレコをした辻博之さん指揮OEKと特別編成合唱団に大きな拍手を送りたいと思います。恐らく,映像にぴったり合わせることが主眼になるので,「手かせ,足かせ」が掛けられたような状態だったと思います,その制限を逆手に取るように,ビシッと引き締まった響きを聞かせてくれました。

特に合唱団(東京芸術大学声楽家卒業生ということで,当然といえば当然ですが)の力感のある精度の高い響きは後半のレクイエムの雰囲気にぴったりでした。「怒りの日」などは,切迫感を持っていい感じで進んでいって,いきなりバスッと切れたりしていたので,「もっと聞きたい」という気分になってしまいました。

やはり生演奏ということで,場面によっては,台詞が埋もれてしまう部分もありましたが(マイクが沢山並んでいたので,多少増幅していたのかも?),もともと「日本語吹き替え字幕」がついているので,その点では問題はありませんでした。

それにしても,この映画はよくできた作品だと再認識しました。もともとのピーター・シェーファーの戯曲が面白いのだと思いますが,モーツァルトの天才性を言葉だけで語るのではなく,実際の音楽が次々と証明していくような作りになっているのが,音楽映画ならではです。例えば,次のようなエピソードの数々です。
  • アイネ・クライネ・ナハトムジークのメロディを口ずさんで...その曲なら知っています!...だけどサリエリの曲ではない
  • グランパルティータの緩徐楽章の楽譜をたまたま見てしまい...凄さを実感。ただし,凄さが分かるのは自分だけ!
  • サリエリが一生懸命作った行進曲を,モーツァルトは一瞬で記憶し,即興で再現し,さらに変奏。もっとインスピレーションにあふれた曲に修正
  • 奥さんのコンスタンツェがアマデウスのオリジナル楽譜を束ねたポートフォリオを持参して,サリエリのところに売り込みに...オリジナルなのに書き直しがない!完成度の高さ!・・・

こういうエピソードが,ボクシングで言うところのジャブのように前半続き,物語に弾みがつく一方,サリエリの凡庸さが対比され,天才性をいちばん理解できる耳を持っていることの悲劇が蓄積されて行きます。

ただし,これはストーリーをドラマティックにするためのフィクションであり,サリエリの作品にも良い作品はあったと思います。例えば,映画の途中,サリエリのオペラを上演し,皇帝から褒められるシーンがありましたが,実際,とても聞き映えする良い曲だと思いました。

「後宮からの誘拐」「フィガロの結婚」などのオペラのエピソードが続いた後,前半の最後で父レオポルドの死。これが後半のドラマの伏線となります。そして,そのレオポルドとの格闘を描いたような「ドン・ジョヴァンニ」で前半は締められました。

ちなみに「後宮からの誘拐」の上演シーンで,モーツァルトが両手を大きく広げて指揮する映像が出てきましたが,辻さんも同じような動作で指揮をされていました。3階席からだと分からなかったのですが,1階席から観ると,結構シンクロしていたのではないかと思います。

ここで20分の休憩が入りました。

この映画については,過去,2回映画館で鑑賞し,衛星放送で録画したものを数回見ていますが,以上のとおり,本当にエピソードの積み重ねが見事だと思います。そして,それぞれのエピソードにぴったりの音楽が使われていることに感嘆します。

音楽的には,上記の「グランパルティータ」の部分と「オリジナル楽譜のポートフォリオ」の音楽の部分が大好きなのですが,今回の生演奏版を聞いて,さらに臨場感たっぷりにアマデウスの天才性を実感できました。OEKの木管楽器の皆さんの神妙さと精緻さと精彩のある演奏あってのシーンだったと思います。13管楽器のためのセレナードということで,編成の中にもクラリネット・ファミリー的な楽器が沢山入っていましたね。

特にポートフォリオの部分は,いわゆるテレビのチャンネルを次々と変えていく「ザッピング」のような感じで,短い単位で音楽が切り替わるので,実演で対応するのは至難の技だったと思います。オリジナル・サウンドトラックと区別が付かない精度の高さで,今回の奏者たちの職人芸に感激しました。

今回,編成の中にハープがあったのですが,もしかしたら使われたのは,この部分に出て来た「フルートとハープのための協奏曲」のためだけだったでしょうか?だけど,この部分はちょっと聞くだけで「別世界」に連れて行ってくれますね。

それ以外にも,ピアノ協奏曲22番の第3楽章が,フッと出てくる部分での透明な明るさも以前から気に入っています。モーツァルトがウィーンの街中で「ピアノ弾き振り」をする場です。軽快なロンド主題が終わり,優しい主題に切り替わった後,モーツアルトの指が一瞬アップになるのですが,この「手の感じ」が何故か好きなのです(非常にマニアックなことを書いてしまいましたが...)。

ちなみに映画の中で,また別にウィーンの街に出かけるシーンがあるのですが,その時に流れるのがピアノ協奏曲第15番の第3楽章です。今回,聞いてみてその雰囲気があまりにも22番に似ていたのでおかしくなりました。モーツァルトが鼻歌を歌いながら街中を歩くと,自然にこうなってしまうのかな,というメロディなのかもしれません。

映画の後半は,最後の1時間です。父と同じ仮装マスクをかぶった謎の人物(実はサリエリ)からレクイエムの作曲を依頼され,最終的に死に至ります。このレクイエムの作曲シーンは,誰もが引き込まれる名シーンの連続です。各パートごとに譜面を記載していくシーンということで,モーツアルトの作曲のプロセスにお客さんの方も参加しているような感じになります。サリエリ自身も芸術家魂に火が付いた感じで引き込まれていくのですが,お客さんも引き込まれていき,「すごい」ということになります。この引き込まれ具合が,映画で観る時以上だったと思います。誰もがレクイエムを全部聞きたくなったと思いました。

映画で作曲過程がクローズアップされていた「呪われた者」の性急な音楽が,そのまま,「愛想を尽かして温泉地に静養に出かけていた妻コンスタンツェの胸騒ぎの音楽」にもなっていることにも感嘆します。

このレクイエムの作曲に先立ち,狂気じみてくるモーツァルトの様子が描かれますが,こちらの方は「魔笛」の序曲の主部に出てくる,印象的な細かい音の連続で表現されています。これもまたぴったりです。

この「魔笛」の前に,シカネーダ(モーツァルトと仲の良かった興行師)版といっても良い,大衆向けにアレンジされた「ドン・ジョヴァンニ」が出てきます。色々と鳴り物が付け加えられ,賑々しくなっています。今回はこの部分も生演奏しており,凄いと思いました。その後に「ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ(お手をどうぞ)」とお客さんの大合唱するシーンが入ります。この「大衆に親しまれるモーツァルト」が実感できるこの部分も良いですね。

下宿のおかみさんの小言が次第にコロラトゥーラソプラノに変わり,映像の方も「魔笛」の「夜の女王」にモーフィング(?)していくのは,「ベタなネタ」という感じですが,「アマデウス」には無くてはならないシーンです。「恋人か女房か」の合いの手のグロッケンの音が,モーツァルトがダウンしてしまったため,入るべき箇所で空振りになってしまうのも楽しいシーンです。

ドラマの展開的には,「笑っている場合」ではないのですが,そういう展開の中に笑いのシーンを入れ込むのは,ドラマの手法の一つの「コメディ・リリーフ」(深刻な物語の中に、緊張を和らげるために現れる、滑稽な登場人物・場面・掛け合いのこと(ウィキペディア))と言えるではないかと思います。その後に続く悲劇が引き立ちます。

映画の最後,「レクイエム」の作曲途中で,力尽きてしまいモーツァルトが亡くなります。この死因に関しては,サリエリが殺したと明確に言えるのかどうか分かない状況だったと思います。サリエリとしては,最後の作品の作曲に立ち会い,生で「神に愛された天才」に触れられたことの喜びと,その天才が永遠に消えてしまった悲しみに呆然としているという状況だったと思います。

それにしても,この映画でずっと積み重ねられてきた「天才性」の華やかさと最後の埋葬シーンでの寂しさを対比すると悲しくなります。共同墓地に葬られる場では,レクイエムの中のラクリモーサが背後に流れているのですが,その気分にぴったりの音楽です。

しかし...その後,「モーツァルトの音楽はずっと生きているんです」という感じでピアノ協奏曲第20番の第2楽章がさりげなく開始します。このシンプルな美しさを聞いて,クールダウンしながら,モーツァルトの素晴らしさを反芻して映画全編が終了します。

今回の上演は,前半と後半に分かれていましたが,前半の方が「ドン・ジョヴァンニ」で始まり「ドン・ジョヴァンニ」で終了。後半の方がピアノ協奏曲第20番の第1楽章で始まり,同曲の第2楽章で終了。後半に出てくる「レクイエム」,「ドン・ジョヴァンニ」,ピアノ協奏曲第20番は全部ニ短調ということで,長い映画ではあるけれども,調性の統一感を考えている気がしました。それだけに,最後の20番の第2楽章の変ロ長調の響きが出てくると本当にほっとした気分になります。

というようなわけで,3時間でモーツアルトとサリエリの人生を堪能できました。そして,今回のLIVEでは,映画で観たとき以上に深く堪能できたと思いました。

繰り返しになりますが,OEKと合唱団の皆さん,そして指揮者の辻博之さんにブラーヴォです。来年の金沢の春の音楽祭のテーマは「モーツァルト」とのことです。是非,この「アマデウスLIVE」メンバーによるアンコール公演などを期待したいと思います。とりあえずは,寸止めだった「怒りの日」をアマデウス特別編成合唱団で全部聞かせて欲しいですね。そうしないと,私としては成仏できない(?)感じです。

PS. 映画「アマデウス」と言えば,「映画の最初に交響曲第25番の第1楽章がいきなり出てくるのが鮮烈」と思う人が多いと思うのですが,実は,映画の最初に出てくるのは,「ドン・ジョヴァンニ」序曲の最初の和音です。私もそうだったのですが,不思議と勘違いしてしまいます。

PS2 今回は上の方からオーケストラを見下ろすことができました。そこから指揮者用の譜面台の前にモニターが置いてあるのが見えました。映像が流れているだけではなく,定期的に「○印」が表示されていました。もしかしたら1拍目の目印だったのかもしれません。ちょっとテレビゲームみたいな感じで,一度やってみたいな,と思いました。

(2017/11/10)




公演の立看板


1階席から見たスクリーン


左が今回のリーフレット。右は1985年頃に観た映画のパンフレットです。