OEKfan > 演奏会レビュー
音楽堂カルチャーナビ2019 Vol.2
「片山杜秀が語る日本オペラの歩み:山田耕筰から池辺晋一郎まで」
2019年7月16日(火)石川県立音楽堂交流ホール

Review by 管理人hs  

現在,日本で活躍しているクラシック音楽評論家の中で,最も有名な方は,片山杜秀さんではないでしょうか。慶應義塾大学での専門としては,近代政治思想史ということで,クラシック音楽の世界だけにとどまらない評論を展開されているところにも特徴があると思います。NHK-FMで,長年,吉田秀和さんの「枠」だった時間帯を片山さんが引き継いでいるのは,その恐ろしく,幅広く深い知識に基づく,人を引き込む熱い語り口の魅力にあると思います。

片山さんが音楽堂に登場するのは,2回目のことですが,今回は片山さん単独でのトークということで(片山さん自身も,依頼を受けてから,そのことに気づいたとのこと),その個性的な面白さが,より強く感じられました。前回の池辺晋一郎さんとの「掛け合い」も面白かったのですが,今回は文字通り,「時間を忘れて」のトークで,時間配分的には後半駆け足になったのですが,その「語れども語れども語り尽くせない」といった雰囲気が最高でした。

もともと,チラシに終了時間が書いてあったわけでもないので,個人的には全く時間のことは気にしていなかったのですが,片山さんがやけに時間を気にしていたのは,大学の先生ならではかもしれませんね。予定時間は,質疑応答入りで90分程度だったようですが,もともと,2時間の設定ということならば,特に問題はなかったのではないかと思います。

さて,今回のテーマですが,片山さんが最も得意とする分野である,日本音楽史。その中の日本オペラ史でした。片山さんが持参されたCD音源を聞きながら,歴史をたどる趣向で,非常に分かりやすく,片山さんの説明を実感することができました。


片山さんは,ステージ上に設置された,CDプレーヤーにCDを入れて,聞きどころの頭出しをしたり,早送りしたり...という作業をしながら解説をされていました。考えてみると,こういう「モノ」を取っ替え引き換えというスタイル自体,平成前期までのスタイルかもしれません。が,この感じが最高だと思いました。音楽に詳しい友人の家に出かけて,CDを取っ替え,引っ替え聞きながら,語り合う...私自身,こんな感じのことをしていた記憶があります。妙に懐かしい気分になりました。

というわけで,今回の片山さんのトークは,「まだまだ語り足りない,未完成」な内容だったのですが,それでも日本オペラの大きな流れと通底する問題点がしっかりと理解できました。配布されたレジュメにメモしながら聞いていましたので,そのエッセンスを紹介しましょう。

※【CD】はCDで聞いた曲, #は私のコメント

今回の流れは,明治以降の日本のオペラの歴史を時代順にたどる形でした。

1 北村季晴
歌劇「露営の夢」(1905年)
  • 日露戦争モノのオペラで,日本最初のオペラと言われている。
  • 七代目幸四郎が歌ったとのこと。孫の九代目幸四郎(現・白鸚)は「ラ・マンチャの男」を歌ったが,それも納得できるのでは。
  • 日露戦争後,日本も消費社会となり,ブルジョワ的な人が増えた。小説家・夏目漱石が登場したのもその時代。その時代に日本のオペラが始まった。

【CD】歌劇「ドンブラコ」(1914年)
  • その名のとおり,桃太郎を題材にした作品。
  • 宝塚少女歌劇の第1回公演がこの作品

2 山田耕筰
【CD】「墜ちたる天女」(1912/29)
  • 日本で初めて本格的なオペラを作ったのが山田耕筰。その最初の作品が,羽衣伝説題材にしたこの作品。台本は坪内逍遙。
  • 流されたCD音源で歌っていたのは..山田耕筰自身。

# 非常に良い声で,お客さんも「へー,ほー」という感じでした。

【CD】歌曲「この道」の歌い方指導の録音
  • 山田耕筰は,日本語の歌い方について,真面目に考えた人。
  • 「この道」を題材として,自分自身で色々な歌い方を示してた録音が残っている。今回の試聴では,次の3種類が示されていました。
    - のどを開いた良い歌い方
    - のどを開いていない詰まった感じの歌い方
    - 鼻に掛けすぎた,気取った感じの歌い方
  • 山田耕筰がオペラにこだわったのは,芸術家として野望を持ってドイツに留学した結果,音だけでロジカルに交響曲を構築するのは,日本人には難しいと考えたことによる。
  • 演劇的なものならば,日本にも昔からあったので,歌のオペラにこだわるようになった。

【CD】「黒船」(1940)
  • 山田耕筰作曲によるグランド・オペラの代表作。「唐人お吉」の話を題材にし,アメリカでの上演を意図して作った作品。
  • 当時から「日本のオペラ」は上演するのが難しかったが(ニーズがなかったので...),1940年は「皇紀2600年」の年にあたり,上演する機会があった。ただし,日米関係が微妙な状況になってきていた(1941年に日米開戦)ので,そのことを暗示する部分もある。フィナーレの部分も,「めでたし,めでたし」というよりは騒然とした感じ。
  • 山田耕筰は,ありとあらゆる日本的な要素にプッチーニなどの西洋のオペラの要素も加えて作ったが,「最高傑作」とまでは言われなかった。
  • 山田耕筰は,日本語のイントネーションをそのまま音楽として移す形で曲を作ったが,そのことにより,「まのびした感じに聞こえる」ということが,当時から言われていた。
  • 日本語の歌い方はどうすべきか?ということについては,未だに決まったメソッドはなく,各人が良いと思った方法で音楽を作っている,という状況が続いている。

# このことが,日本のオペラ史そのものかもしれません。逆に言うと,日本オペラの多様な面白さとも言えると思います。

3 橋本國彦
【CD】歌曲「舞」 
  • 日本語による作曲について,アンチ山田耕筰の代表だったのが橋本國彦
  • ただし,オペラは書いていないので,代わりに歌曲のCDを。
  • セリフ的な部分と音楽とを組み合わせた曲で,セリフ部分については,山田よりももっと速いテンポ

# この辺で,片山さんは「時間配分」の問題に気づき,後は駆け足になりました。この山田耕筰 vs 橋本國彦 だけでもっともっと語れそう(講義1回分)な感じでした。

4 菅原明朗
「葛飾情話」(1938)
  • この作曲家の「日本語オペラ観」は,重要。
  • 「日本語は母音ばかりが聞こえ,大きなホールで大きな声で歌うと子音は飛んでしまう。小劇場で声を張り上げないのが適当」

5 團伊玖磨
「夕鶴」(1952)
  • 山田耕筰の延長線上のオペラ

6 清水脩
【CD】「修善寺物語」(1954)
  • 橋本國彦の弟子。
  • 歌舞伎役者の朗唱を音楽に移したもの。歌舞伎の伝統的な抑揚を使った作品。

7 大栗 裕
「夫婦善哉」(1957)
  • 関西弁の抑揚によるオペラ
  • 「東芝日曜劇場」的作品)
# ある年齢以上の方には分かると思いますが,とおっしゃっていましたが,この比喩は結構受けていました

8 戸田邦雄
【CD】「あけみ」(1955)
  • 大栗の作品同様,「もっと気軽に楽しめるものに」という路線で書かれた作品。
  • ちなみに「あけみ」というのはバーの名前。

9 別宮貞雄

  • 狂言の抑揚(六度音程)やテンポを音楽化

10 間宮芳生
【CD】「ニホンザル・スキトオリメ」(1965)
  • 日本の伝統芸能のように,「言い立てる」ような音楽。
  • 大編成のオーケストラと拮抗させようとしたが,ホールだと「聞こえる?」という問題が出てくる(放送用のスタジオ録音だとよく聞こえるが)



が,これらの作品もあまり人気は出なかった。日本のオペラについては,いつの時代も,歌い手側,聞き手側の双方から,「オペラなら西洋のものが良い」「日本独自の作品なら,歌舞伎,能,清元...など伝統的な作品がある」といった声が出てくることがその理由

1960年代になってくると,「新しいオペラを作ってもしょうがないだろう」という諦めムードも漂っていた。そこで出てきたのが...

11 一柳慧
【CD】「横尾忠則を歌う」(1969)
  • 今回,聞いた音源の中でもっとも,「破壊的なオペラ」
  • 一度聞いただけでは,言葉で説明できないような音楽だったのですが...何と歌は高倉健。その後,一柳さんは別のスタイルに変わる。そのままだったら,文化勲章は取っていなかったかも(#なるほど)

12 黛敏郎
「金閣寺」(1976)
  • 日本語ではなくドイツ語で作曲(ドイツのオペラハウスからの委嘱作品ということもあるが)。

# 個人的にはこの作品について,片山さんのお話をもっと聞いてみたかったところです。別の機会ですね。

13 三善晃
「暗い帆」(1999)
  • 2時間30分ぐらいの言葉を1時間に詰め込んだような作品
  • ほとんど聞き取れないが,日本のオペラの1つの頂点である

14 池辺晋一郎
「耳なし芳一」(1982)
  • 平家物語を題材とした作品。何回かオペラ化されているが,クラシック音楽の歌手だとなかなかうまく行かないので,日本語独自の発声の人を使いたいという流れがあった。
  • 池辺さんの作品では,オペラ歌手に琵琶法師風(しかし本物とは違う)のアリアを歌わせている。ここがいちばんの聞きどころでは。
  • 参考:映画「怪談」では,武満徹が音楽を担当。「ノヴェンバーステップス」の初演で琵琶を担当した鶴田錦史も参加。



というような感じで,日本のオペラについては,歌手からも聴衆からも人気がないという「特殊な環境」にあり,各作曲家は,自作を理解してもらえないことについて「みんな恨みながら,死んでいった」とのことです(この辺の語り口の面白さが,片山さんの真骨頂でしょうか)。

その後,会場から「それでは日本のオペラはどうなれば良い?」という質問がありました。このことへの回答を探すことが,日本のオペラの歴史そのもののなので,「これ」という答えは出せないのですが,「結局は,聴く側の問題」という「元も子もない」回答になるのかもしれませんね。

「日本人のお客さんは,日本人のものを聞きたがらない」「西洋にないものならば伝統芸能がある」というジレンマがあり,ニーズが十分ないということになります。その中で,「全員が好きにならなくても良い」という開き直りや,「すぐれた歌手の登場」で状況が変わるかも...という別の展開が片山さんから指摘されました。

というわけで,なかなか難しい問題をはらんでいることが分かったのですが,片山さん自身,少々自虐的になりつつも,終始熱く,言葉を重ねていたのが良かったですね。恐らく,この日のトークを聞いた方は,「少々変わった世界だけれども,いろいろあって面白い世界かも」と日本オペラの世界の魅力の一端を感じたのではないかと思います。

もともとは8月に上演される,池辺晋一郎作曲「耳なし芳一」の関連企画ということだったのですが,それにとどまらず,石川県立音楽堂が力を入れている,「日本のオペラシリーズ」全体を応援するような企画になっていたと思いました。過去,邦楽ホールでは,色々な作品が上演されてきましたが,今後の上演作のプレイベントとして,その作品に特化した深い解説を片山さんにお願いするというのも,「あり」かなと思いました。いずれにしても,90分では語り尽くされていなかったので,続編に期待をしたいと思います。

(2019/07/20)




公演の案内。私も,一瞬,「池辺さんが出てくる」と思ってしまいました。

サイン会の案内


実はドサクサに紛れて,持参した本にサインをいただきました(販売していたもののうち,3冊は既に持っていたので,許してもらえるでしょう)。

そのサインですが,「かって観たことのない」,前衛的というか,アールデコというか...強烈なインパクトの残るサインでした。さすがと思いました。


今回は「日本之巻」にサインをいただきましたが,ちゃんと「世界之巻」の方も持っております。演奏会の待ち時間などに読むのにちょうどですね。