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イリーナ・メジューエワ ピアノリサイタル:若林工房創立15周年記念
2019年8月31日(土)14:00〜 富山県民会館ホール(富山市)

モーツァルト/幻想曲ニ短調,K.397
モーツァルト/ピアノ・ソナタへ長調,K.280
メンデルスゾーン/無言歌(6曲)
ショパン/2つのノクターン, op.27
ショパン/スケルツォ第2番変ロ短調,op.31
スクリャービン/左手のための2つの小品, op.9
スクリャービン/2つの詩曲, op.32
スクリャービン/練習曲, op.42〜第4曲,第7曲
スクリャービン/焔に向かって, op.72
(アンコール)スクリャービン/欲望,op.57-1
(アンコール)スクリャービン/練習曲, op.8-12
(アンコール)ショパン/ノクターン, op.9-2

●演奏
イリーナ・メジューエワ(ピアノ)



Review by 管理人hs  

8月最後の土曜日,午後から富山市に出かけ,イリーナ・メジューエワさんのピアノ・リサイタルを聞いてきました。会場は富山県民会館ホールでした。

 
建物の外観です。これからの演奏会のポスター掲示用のショーケースがあるのが良いですね。

このリサイタルですが,通常のリサイタルとは違い,若林工房という富山県にあるCD制作会社の公開録音を兼ねたものでした。入場料自体は無料(要整理券)だったのですが,本日の演奏を収録したライブCDを会場で先行予約できるなど(実演販売ですね),CD制作・販売とリサイタルとを連動させることで,アーティストと聴衆とのつながりを深める効果があると感じました。「これは面白い」と思いました。

 

そして何より,メジューエワさんの演奏が素晴らしかったですね。CD収録だからということもあったと思いますが,非常に完成度の高い演奏の連続で,こんなに素晴らしいピアニストだったのか,と感嘆しました。一辺にメジューエワさんのファンになってしまいました。

逆に言うと,そういうアーティストだからこそ,レコーディング向きと言えます。本日のプログラムの巻末に,若林工房制作のディスコグラフィが付いていましたが,15年の間に(今回は若林工房創立15周年記念イベントでした)100セット以上のタイトルを発売しており壮観でした。その核となっているアーティストがメジューエワさんです。

今回のプログラムは,前半がモーツァルトとメンデルスゾーン,後半がショパンとスクリャービンという構成でした。20分以上の曲はなく(15分程度のモーツァルトのピアノ・ソナタK.280がいちばん長い曲だったと思います),5〜10分程度の小品中心だったのですがよく考えられた選曲になっており,それほど知名度の高い曲はなかったにも関わらず,聴きごたえ十分の充実感が感じられました。

メジューエワさんについては,ジャケット等の写真の印象からすると,柔らかく軽やかな演奏をされるのかなと予想していたのですが,むしろカッチリとした剛性感とクリアさのある演奏に特徴があると思いました。速いパッセージでも乱れる部分は皆無,曖昧な部分や甘い部分はなく,限りなくパーフェクトに近づこうという意志の強さを感じさせる演奏だったと思いました。

ただし,堅苦しくピリピリ張り詰めたような緊張感はなく,あくまでも自然体でバシッと決めてくれる,気持ちの良さがありました。演奏する時の雰囲気は常に平静で,全体に優雅なオーラも持っています。左手が空いている時,指揮をするような感じで手を動かすのが「癖」のようでしたが,音楽と奏者とがしっかり一体化しているような集中度の高さを感じました。メジューエワさんについてはジャケットの顔写真でのしっかりとしたまなざしが印象的ですが,そのイメージどおり,「この方に任せておけば間違いない」と感じさせる安定感があると思いました。



リサイタルはモーツァルトの幻想曲K.397で始まりました。個人的にはグレン・グールドでの不気味な印象がインプットされている曲ですが,メジューエワさんの演奏については,自然な音の流れと,ドキリとさせるような鋭さとが共存しているのが素晴らしいと思いました。さりげなく茫洋とした雰囲気で始まった後,突き刺すようなくっきりとした音が続き,時々,大きな間が入り...と静かな雰囲気の中でしっかりとドラマが展開していきました。後半のテンポが速くなる部分では,細かい音の動きが本当にきれいで,すっきりとした古典音楽といった味わいになっていました。この全体のバランスも素晴らしいと思いました。

K.280のピアノ・ソナタも,冒頭の一音からバシっと決まり,優雅さが漂う中,確固たるメッセージが込められているような聴きごたえがありました。第2楽章は悲しげなシチリアーノですが,その中に芯の強さが感じられ,全く感傷的な感じはしませんでした。第3楽章の急速なパッセージの端正さや清潔感も見事でした。

続いて,メンデルスゾーンの無言歌の中からop.19-1「甘い思い出」,op.19-6「ヴェネツィアの舟歌」, op.53-3, op.62-3「葬送行進曲」, op.62-6「春の歌」,op.102-4の6曲が演奏されました。これらの無言歌集は,メジューエワさんの最新のCD録音の中から抜粋されたものだと思います。こちらについても軽やかに流れていくだけではない,「こだわり」と6曲を通じたバランスの良さを感じました。

最初の「甘い思い出」は無言歌集の最初の1曲で,個人的にも好きな作品ですが,どこかゴージャスな気分が伝わってきました。葬送 (マーラーの交響曲第5番の第1楽章冒頭のピアノ版のような感じ)をはじめとした短調の曲では,それぞれ短いながらも悲劇の一場面を見るような緊迫感を感じさせてくれました。有名な「春の歌」はゆったりと揺れるテンポで軽やかに演奏されていました。それに続くop.102-4は,短調の曲でしたが,どこか「春の歌」と似た感じがあり,ネガポジ変換したような面白さを感じました。

前半も素晴らしかったのですが,ショパンとスクリャービンを並べた後半はさらに面白かったですね。演奏された曲は,基本的には古い曲→新しい曲の順に並んでいましたが,ショパンとスクリャービンを続けて演奏すると,スクリャービンの曲のムードが「ショパンそっくり」の雰囲気から,だんだんと神秘的になり,最後はメロディ中心の音楽から脱却していく変化を実感できました。

ショパンの曲については(メンデルスゾーンでもそうでしたが),しっかりと強く歌われるメロディが印象的でした。2曲のノクターンではもやっとした低音の中から,くっきりとしたメロディが美しく浮き上がってくる辺りにどこか虚無的な美しさを感じました。センチメンタルに流れることなく,透徹した美しさを感じさせてくれる演奏でした。

続くスケルツォ第2番は,冒頭部分の引き締まったクリアな打鍵から圧倒的で,近年メジューエワさんが全曲演奏をシリーズで行っているベートーヴェンの作品を思わせる,揺るぎのない構築感があると思いました。中間部の抒情的な部分には,「一瞬の休息」的な趣きがあり,表現の幅も広いと思いました。そして,最後のコーダの部分では,千両役者の演技を見るような華やかな気分で締めてくれました。

スクリャービンのコーナーの最初に演奏された作品9の2曲は,「左手のための作品」ということで,今年の「風と緑の楽都音楽祭」でも演奏されていました。左手だけということもあるのか,しっかりと整っているけれども,その中に非常に暖かな気分のある演奏だと思いました。

op.32の2曲は,ロマン派的な気分の中に,いくぶん神秘的な気分が忍び込んできているような作品でした。狂気の中の美しさといった雰囲気をクリアに表現していました。

op.42になると,さらに崩れた雰囲気に感じになるのですが,メジューエワさんの演奏には,常に芯の強さがあり,溺れた感じにならないのが,個人的には良いと思いました。ちなみに,この2曲は「これで終わり?」というぐらい,結構短い作品でした。

そして,最後に演奏された「焔に向かって」が凄い曲でした。実演で聞くのは初めてでしたが,「ド#レ」の音から成る不安なモチーフが次第に狂気に満ちた気分に盛り上がっていくのがスリリングでした(危険?)。この日使っていたヴィンテージもののスタインウェイが,気持ちよく鳴り響いていました。ただし,メジューエワさんの演奏は,完全にのめり込んでしまっているのではなく,燃える焔を外から描いているような冷静さがまだ残っていると思いました。その辺が,聞きやすさとなっていた気がしました。

アンコールは3曲も演奏されました。最初に演奏された曲は,ステージ上でメジューエワさんは「デジール」と言っていましたが,「欲望」という曲でした(フランス語ですね)。神秘的な雰囲気に包まれた曲で,どこか「焔に向かって」とつながりがあるような気分があったので...思わず「焔の燃えかすか?」と勝手に想像しながら聞いていました。

2曲目はショパンの前奏曲の中に入れても全く違和感がなさそうな,格好良い雰囲気の曲でした。バリバリと気持ちよく聞かせてくれました。

その後,会場のお客さんから花束のプレゼントがあり,それに応えるようにアンコール3曲目として,お馴染みショパンのノクターンop.9-2がシンプルに演奏されました。スクリャービンの後に改めて聞くと,何と清々しい歌なのだろうと,ショパンの良さも再発見できました。

というわけで...本当に良い演奏会でした。若林工房さんの戦略どおり,「会場限定!本日のライブ音源収録CDを特別価格で先行予約」に飛びついてしまいました。もともと入場無料でしたので,CD特別価格2000円でも安いぐらいだと思いました。CDは来年1月に郵送されてくる予定ですが,それを再度聞くのが非常に楽しみです。
 

さらに...予約者には「非売品」のメジューエワさんの録音をCD-Rプレゼントという,マニアックな特典もありました。今回配布されたプログラムも(恐らく,そのままCDの解説に使う内容だと思います),大変分かりやすい内容でした。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番が収録されていました。が...この音源,実はすでにCDとしても持っていました。残念。

その他,今回の使用ピアノは「1925年製スタインウェイCD135」というヴィンテージ物だという点をアピールするなど,色々な点でお客さんを喜ばせようという工夫がありました。若林工房さんの活動については,今後も注目していきたいと思います。

(2019/09/06)



公演のポスター


終演後サイン会があったので,サインをいただいてきました(持参したCDでしたが)


織り込まれていた演奏会のマナーについての注意書き。イラスト入りで大変分かりやすいものでした。

富山市内もすっかり「風の盆」モードでした。行ったことはないのですが...