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牛田智大ピアノリサイタル
2020年2月24日(月・振休) 15:00〜 北國新聞赤羽ホール |
バッハ,J.S./イタリア協奏曲ヘ長調, BWV.971
ショパン/ワルツ第4番ヘ長調, op.34-3
ショパン/ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調, op.35
ショパン/ポロネーズ第6番変イ長調, op.53「英雄」
ショパン/4つのマズルカ, op.24
ショパン/幻想曲ヘ短調, op.52
ショパン/舟歌嬰ヘ長調, op.60
(アンコール)ショパン/小犬のワルツ(エキエル版)
●演奏
牛田智大(ピアノ)
2月24日,振替休日の午後,北國新聞赤羽ホールで行われた,牛田智大さんのピアノリサイタルを聞いてきました。牛田さんは,12歳でデビューして話題を集めましたが,2018年に浜松国際ピアノコンクールで2位を受賞してからは,さらにスケールの大きなピアニストとして活躍の場を広げています。「聞き逃せないピアニスト」ということで会場はほぼ満席でした。

今回のプログラムは,バッハのイタリア協奏曲で始まった後,ショパンの曲がずらっと並び,最後は舟歌で締めるというプログラムでした。東京オペラシティ風(バッハからコンテンポラリーへB→Cというシリーズの公演を行っています)に言うと,B&Cプログラムといったところでしょうか。牛田さんのトークによると,バッハとショパンには共通する部分が多く,2人とも憧れを持っていた「イタリア風の曲」を最初と最後に置いたとのことでした。

ショパンの曲では,前半にソナタ第2番が演奏されたのに加え,英雄ポロネーズ,幻想曲,バラード第4番,舟歌など,10分前後の長さのある中規模の充実した曲が次々と登場。非常に聞き応えのあるプログラムになっていました。
牛田さんの演奏を聞くのは初めてだったのですが,本当に素晴らしいピアニストだなぁと感嘆しました。牛田さんはまだ20歳ぐらいのはずですが,曲のキャラクターをしっかりと把握した上で,磨き抜かれた音,考え抜かれた構成で,どの曲についても非常に洗練された音楽を聞かせてくれました。
どの曲も大変鮮やかに演奏されていましたが,慌てるような部分は皆無。バッハのイタリア協奏曲など,どちらかというとゆったりと余裕を持って演奏し,温かみのあるピアノの音の美しさをしっかりと聞かせてくれました。牛田さんは最初のトークで「バッハもショパンも悲しみを表現する時には音の数が少なくなる」と語っていましたが,なるほどと思いました。この曲の第2楽章では,少ない音数から染み渡るような濃さを感じさせてくれました。ショパンとバッハの共通性を感じました。
第3楽章は再度前向きな明るさ。タイトルどおり,イタリア的な明快さがありました。意欲たっぷりでも,ガツガツとした感じにならないところが,素晴らしいと思いました。
牛田さんのピアノの音ですが,ピアノの弦の音がしっかり響いているのが分かるような美しさがありました。聞いていて牛田さんの世界にぐっと引き込まれていきました。しかも,曲想に応じて,多彩な音を聞かせてくれました。
牛田さんは,曲間の拍手をあまり入れて欲しくないような感じで,袖に引っ込むことなく,そのままショパンの曲が始まりました。最初はワルツ第4番,「猫のワルツ」という愛称で呼ばれることもある作品です。この曲でも,慌てず,美しく,緩急・強弱自在にしなやかな演奏を聞かせてくれました。ちなみに...アンコールでは「小犬のワルツ」が演奏されたので,その「伏線」的な選曲だったのかもしれません。
ピアノソナタ第2番「葬送」は,大変堂々とした音楽を聞かせてくれました。第1楽章序奏部の冒頭の音は非常に深みがありました。その他の部分もそうだったのですが,しっかりと自分で選び取った音を自然な流れで聞かせてくれていると思いました。第1楽章の途中では,輝かしい音が出てきたり,展開部ではがっちりとした構築感を感じさせてくれたり,抒情的な部分では祈りの気分があったり...見事な演奏でした。
ちなみに第1楽章呈示部の繰り返しについては,「序奏部の最初(いちばん最初)」に戻っていました。我が家にあるポリーニとかのCDでは,序奏部が終わり主部が始まる部分に戻るのですが,この辺は楽譜によって違うのだと思います。
第2楽章は,落ち着いた気分の中に「すごみ」をはらんだような音楽でした。中間部での夢見るような美しさとのコントラストが素晴らしいと思いました。そして,有名な第3楽章「葬送行進曲」になります。じっくりと暗い情感を描いていましたが,音に透明感があるので,もたれる感じはありませんでした。中間部のこの世とは思えない(「あの世」と言うことでしょうか?)抑制された美しさ。全く乱れることのない平静な気分が漂い,素晴らしいと思いました。
第4楽章は,はっきりとしたメロディがなく,モゴモゴと進んでいく不思議な楽章ですが,その雰囲気をそのまま伝えるような,異次元の世界に入ったような音楽を聞かせてくれました。最後は威厳たっぷりの音でびしっと締めてくれました。
前半最後は,おなじみの「英雄」ポロネーズでした。ここでもこれ見よがしに盛り上げようといういう感じはなく,落ち着いた音で始まった後,段々と力強く盛り上がっていくような安定感を感じました。ポロネーズといえば,ポーランドの民族舞曲の一つですが,土臭い舞曲というよりは,ポーランド人の誇りを感じさせるような品格の高さのあるポロネーズだなと思いました。
後半は前半から引き続いての「ショパン尽くし」でした。op.24のマズルカは4曲セットで演奏されました。各曲は短いのですが,曲想の違いがしっかりと描き分けられており,哀愁があったり,小粋な感じがしたり,精妙な気分があったり...どの曲からも味わい深さが伝わってきました。
次の曲に入る前に,拍手が入るかな...と思ったのですが,拍手は入らず,マズルカから連続的に幻想曲になりました。15分ぐらいかかる中規模の曲ですが,ここでもたっぷりとした感じで始まった後(「雪の降る町を」とそっくりのメロディ),どんどんと深く幻想的な世界に入っていきました。中間部では,かなり激しく荒れ狂う感じになりますが,音に余裕があり,しっかりと鳴っているので,乱暴な感じはしませんでした。この曲でも部分ごとに,美しい音で次々と別の世界に連れて行ってくれる感じがありましたが,最後は,しっかりとした音で現実に戻してくれました。
バラード第4番には,詩的でメランコリックな美しさがありました。音楽の流れに乗って浮遊するような演奏でした。密度の高い強音を交え,最後は華麗に盛り上がっていました。この日のプログラムは,これでもか,これでもかと内容の詰まった曲が続いたのですが,それぞれの曲に応じた「濃さ」があったのが素晴らしいと思いました。
プログラムの最後は,舟歌でした。上述のとおり,「イタリア」で始まり,「イタリア」で締めるというコンセプトでした。幻想曲やバラードよりは,素直な明るさがあり,気分良くイタリア旅行をしているような心地よさがありました。舟歌の曲想に相応しく,たゆたうような音楽が続くなか,終盤に向けて若々しくエネルギーが開放されていきました。上述のとおり,牛田さんはまだ20歳。そのことを思い出しながら,若く瑞々しい音楽に浸る喜びを感じることができました。最後は気持ちを込めた音で爽やかに締めてくれました。」
アンコールでは,おなじみの小犬のワルツが演奏されました。ただし,牛田さんはいつもこの曲をアンコールで演奏しているということで,そこにはこだわりがありました。牛田さんによると,この曲は,実はショパンの晩年,恋人のジョルジュ・サンドとの関係が破局寸前になった頃に作られたもので,ショパンは現実とは違った「理想」のようなものをこの曲で描いていたのでは...とのことでした。そうだったのか,といこの曲に対する新しい視点を得ることができました。
しかも,今回使っていたのは,「エキエル版」という1999年(牛田さんの生年と同じ年)に出された新しい版の楽譜。細かい違いはよく分かりませんでしたが,非常に優雅な演奏で,この曲に対する牛田さんのこだわりが伝わってきました。この曲については,2分以内で終わることが多く,スピード競争のような演奏で聞いても面白いのですが,そういう方向とは全く別の優しさにあふれる演奏でした。
今回のプログラム全体を通じて,どの曲もキャラクターに相応しい音楽に設計されているのが素晴らしいと思いました。そこから出てくる安心感が,ソナタのような規模の大きな曲では,堂々としたスケール感につながっていると思いました。さらには,どの曲についても,お客さんに媚びるような甘い感じがなく,どこか高貴な感じが漂っているのも素晴らしいと思いました。ついつい「ピアノ王子」といった風に呼んでしまいたくなるのですが...そう呼ばせないような,芯の強さのようなものも感じました。
牛田さん自身,「今日演奏した曲は,一生掛けて引き続ける曲ばかり(本当にその通りだと思います)」と語っていましたが,これからまた違った形で成長をしていうのではないかと思います。王子を超えて,王道を行くピアニストに成長していって欲しいと思いました。
(2020/03/02)
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北國新聞社の前にあったポスター

ホールに入ると,浅川マキさんの写真展をやっていました
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ホールの入口には手指消毒剤

開演まで時間があったので,ホールの隣にあった,「北國新聞読者プラザ」へ。

この日の新聞がモニターに表示されていました。新型コロナウィルスではなく,金沢市出身の力士,炎鵬の後援会の話題が1面

北國新聞のデータベースを検索できたので,1988年末頃を調べてみると,ちゃんとOEKの最初の演奏会の記事も出てきました。

終演後の赤羽ホールの外観。すっかり太陽は西に傾いていました。 |