クラシック音楽のコンサートの楽しみ方:芸術文化サポータのすすめ 本文へジャンプ
第4章 応援しながら聴く楽しみ

応援しやすいオーケストラ                                                   
OEKは全員で40人しかいない室内楽の延長のようなオーケストラです。指揮者だけではなく,個々の団員の顔が非常によく見えるオーケストラです。実際,指揮者は演奏中は背中を向けていますので,演奏中は,室内楽の演奏を聞くようなつもりで,団員の姿を見ている方がずっと楽しめます。OEKは次のような点で大変応援しやすいオーケストラです。
  • 40人という数字は,学校の一クラスと同じ規模で,自然と団員全員の顔を覚えられます。顔を覚えると親しみがわくものです。
  • 金沢市には他に競合するプロの団体がない。Jリーグやプロ野球チーム同様,「1都市=1チーム」という形での応援ができる。
  • 岩城宏之音楽監督を中心となって,次々いろいろなアイデアが出され,それが実現されているので応援のしがいがある。

金沢市の人口は40万人余りです。その人口で40人のオーケストラを支えているという「これしかない」という絶妙のバランスがOEKの特徴です。金沢市民・石川県民にとって,OEKは唯一のプロオーケストラです。生演奏を聴き続けるためには,よくも悪くもこのオーケストラを応援するしか選択肢がありません。私の場合,そういうやや消極的な理由でOEKの応援を始めました。

コンサートを生活の一部に                                                   
「はじめに」で書いたとおり,一つのオーケストラを聴き続けているうちに,そのこと自体が生活の中の一部を占めるようになってきます。良いとか悪いとかいったレベルを越えて,「石川県にはOEKがあるのが当然」という意識が出来てきます。ウィーン・フィルやベルリン・フィルといった「お客様」が金沢で公演を行うのも良いが,それとOEKの定期公演とはまた別です。ウィーンやベルリンも良いが金沢にも別の良さがある,という一種「愛国心的感覚」が出てきます。もちろんこれは,OEKのレベルがプロとしての一定水準以上にあるから言えることです。

OEKが出来て十八年間で定期会員には,こういう「わが街のオーケストラ」意識が育ちつつあります。演奏される音楽に応じてメリハリのある拍手を送りながら,特にOEKには暖かい支援の拍手を送るようになってきています。これはクラシック音楽を生で聴くという習慣が,ある程度定着したからできる余裕のある態度です。

そもそも音楽について「良い,悪い」という客観的判断は簡単にはできません。そのことよりも,応援すること自体が楽しみというファンが増えてきて欲しいと私は思っています。実際,ポピュラー音楽の場合,コンサートに出かけるのはそのアーティストを応援するという意味が大半だと思います(その顕著な行動がツァーの「追っかけ」でしょう)。こういったことが「応援しながら聴くことの楽しさ」を証明しています。より「熱く」「気合を入れて」聴くことができるのです。

Jリーグやプロ野球の場合,勝っても負けても一つのチームを応援するようなサポーターがいます。こういう人たちは,特定の選手を応援している人もいれば,チーム全体を応援している人もいます。その都市にあるからという理由だけで応援している人もいるかもしれません。スポーツの場合,応援しながら観戦する方が面白いというのは,言うまでもないことです。地元の高校野球チームが甲子園に勝ち残っているかどうかで,TV観戦の気合の入れ方は全く違ってきます。

その一方,熱いサポーターからは叱咤激励の意見も出てきます。勝ち負けのはっきりしたスポーツの場合,特にそうです。その意見には真にチームの発展を考えた真摯なものも含まれています。

以上のことは,オーケストラについても,そのまま当てはまります。OEKの場合,上述のとおり応援しやすいオーケストラという条件が揃っています。特に個々の奏者の顔が見えるという点は大きなメリットです。私自身,団員の顔を覚えてくるにつれて,自分の身内が演奏している,という気分になってきました。OEKは,近年聴衆との距離を縮めようといういろいろな企画を行っていますが,是非,そういう企画に乗って,個々の奏者に対して親近感を持ちながら,暖かい気持ちでコンサートに参加してみることをお勧めします(それと,時には叱咤激励しながら)。

コラム4 地域に根差すOEK

ふだん着ティータイムコンサートの様子十年間OEKの定期公演に真面目に(?)通えば,人事異動も含めて,団員の顔をほとんど覚えてしまうのではないでしょうか?団員の皆さんの方も,金沢に住んでいるうちに,地域社会とのいろいろなつながりが出てきています。例えば「私の所属するアマチュア・オーケストラの指導に来られている○○さんが出ているので,聴きに行こう」と,いった個人レベルでのつながりで,公演を聴きに来ている人もいるようです。こういったことは,地域社会がオーケストラを支えていく上での大きな力になると思います。

OEKのメンバーについては,『クラシック談話室: オーケストラ・アンサンブル金沢の響き』(能登印刷)という本が必読です。これは,1999年秋から朝日新聞石川版に連載されていた記事を単行本にまとめたもので,団員及びOEK関係者の50以上のエッセーが掲載されています。毎年初夏に「ふだん着ティータイムコンサート」という入場無料の演奏会があるのですが,この演奏会もおすすめです。この演奏会はOEK団員が手作りで企画・運営を行っていますので,OEKの方々がとても身近に感じられます。プロフィールの書かれたプログラムも貰えますが,団員のトーク入りのステージに接する方が人柄がよくわかるのではないかと思います。
OEKだけでなく他のアーティストも                                                   
OEKの活動についてばかり書いてきましたが,ライバルを敵視するスポーツの場合と違い,クラシック音楽の場合は,一つのアーティストを応援すると他のアーティストについてもかなり寛大になれるようなところがあります。もちろん,「どうもあの人は嫌い」という場合もあるでしょうが,私自身,OEKを応援する一方で,同様の音楽を演奏しているアーティストについても「がんばっているな」と暖かく見守ることが多くなってきました。これはクラシック音楽という,普遍的な価値観に基づいているジャンルだからなのかもしれません。

OEKを核としながら,すべてのアーティストの活動を暖かく見守るような寛大なサポータ意識―これが理想の聴衆のあり方だと思います。残念ながら,まだまだ,そういう聴衆の数は多くはありません。OEKの存在さえ,県内に完全に浸透しているとは言えません。

以下,この章では,これまでとは趣きを変え,そういうサポーター的聴衆を増やすにはどうすれば良いか,「アーティストを応援する」とはどういうことかについて,もう少し幅広い視点から,少々理屈っぽく考えてみたいと思います。そのため文体の方も「〜である」調にしています。最後には我伝引水的にOEKfanの紹介となっていますが,結論は,どうやって地域住民間のコミュニケーションを作り,どうまとめるかということになるかと思います(注:以下の文章は,私が「北國文華」という雑誌の2002年春号に発表した「芸術文化サポーターのすすめ」の内容を改変したものです)。

芸術文化のパトロンからサポータへ                                                   
石川県は「文化的な県」と呼ばれている。能、謡などの伝統芸能が、加賀友禅、九谷焼といった伝統産業へと広がりを持ち、兼六園・石川門などの名所と一体となって、文化的なイメージを作っている。こういった地域の伝統芸能と産業が一体となったような芸術文化を支えてきたのは、洋の東西を問わず、主として王侯貴族や藩主などの支配者階級だった。芸術文化活動は、簡単に言うと「道楽」なのだが、そういう活動が存在できたのも、経済的・精神的な支えとなるパトロンとしての受け手がいたからである。

これを現在の状況に置き換えてみるとどうなるだろうか?例えば、OEKのパトロンは誰なのだろうか?OEKは、税金や入場料などを元に活動しているから、いちばんのパトロンは石川県民といえる。現代の日本には、かつてのような身分的な特権階級は存在しないが、芸術文化に関しては、パトロンは誰かという意識を持つことが重要だと私は思う。そして、その意識をさらにすすめ、サポーター意識を持つことが大切なのではないかと思う。以下,この章では、私が受け手として関わっている、石川県の芸術文化活動を事例に、「積極的なお客さん」になることの勧めを書いてみたい。

芸術文化活動の分類                                                   
芸術文化活動には、商業的に成り立つものと、税金などの補助なしには成り立たないものの2つがある。アイドル歌手のコンサートのような場合、チャリティコンサートでない限り、商業的に成り立たないものは存在し得ないが、伝統芸能と呼ばれる分野については、聴衆の数が少ない反面、「価値のある、守るべき文化」として評価されているため、税金の補助や企業からの寄附金などを受けて存在し続けている。前者が、資本主義社会の激しい競争の中で「イベント」として捉えられている一方、後者は、「芸術」と捉えられることが多い。

この両分野は、長い目で見れば同じもので、内容的にもクロスオーバーしている。ただし、一般的には、ポピュラー音楽とクラシック音楽、商業演劇と伝統芸能といった分類がされることが多い。前者は、流行り廃りの世界の中で、淘汰される一方、後者は、息の長い活動を行い、流行に比較的流されずに、より穏やかな形で活動を行っている。前者の中から生き残ったものが、新たな伝統芸能となり、「価値のあるもの」として評価が固まる、という流れがある。

公共財としての芸術文化活動                                                   
まず、こういった芸術文化活動に地域住民がどう関わって行くかについて考察してみたい。芸術文化活動については、意識しているいないに関わらず、私たちの税金の補助なしには成り立たないものが多い。例えば、2001年9月に完成した石川県立音楽堂の建設には大金が掛かり、建物を維持するだけでも相当の予算が必要だが、そういったことまで考えると、商業的に成り立つ芸術活動というのはほとんどないのかもしれない。このことは美術館、博物館など大部分の公立の文化施設についても言える。芸術文化活動については、「文化の伝承を行う」という理由から、経済学で言う公共財(=水道、電気など)的な特別扱いを受けているといえる。また、「ちょっと親しみにくいかもしれないが、良いものなので是非」と地方公共団体がお薦めをしている文化財ともいえる。

私自身、こういう芸術文化が公共財的な性格を持つことについては、依存はないが、本当に地域文化の中に根付かせる努力がされているのか疑問に感じることがある。芸術文化活動というのは、そこに住む住民とのつながりがないと意味がない。例えば、ウィーン・フィルの演奏を個人がテレビでただ観ているだけでは、その演奏がたとえ素晴らしいものだったとしても、その人の住む地域の文化に影響しないだろう。これは、インターネット時代の趨勢に逆行することかもしれないが、地域の住民が、芸術文化活動を通じて特定の空間を共有することが重要なのである。外から来た文化を受信しても、そのまま忘却されていくだけだとしたら、地域の文化活動は活性化しない。それが税金を使われたものだとすれば、無駄遣いとの批判を浴びるかもしれない。

地域と結びついた芸術文化活動の必要性                                                   
民間企業の経営の合理化が進み、国や地方の財政が逼迫している中で、いつまでも、芸術文化が優遇される保証はない。まず、地域と結びついた芸術文化活動が本当に必要なのかを再確認すべきである。その上で、芸術文化が地域の人々にとっては無くてはならないもの(=公共財)である、という認識を地域の人が持たなければ、税金で文化を支えることはできない。このことについては、国や地方の行政担当者が、啓蒙的な活動を行う必要もあるが、私は、それよりも、まず、住民側から自発的な動きを示す必要があると考える。地域の芸術文化活動を盛り上げていこうという、ボランティアな動きである。順番からすると、そういう動きがあった上で、芸術文化活動に税金が使われるというのが正しい。

現在、税金はいろいろな芸術文化活動に使われているが、その受け手の方は、自分の払った税金で成り立っていることをあまり意識していない。自分がその劇団・オーケストラ・画家…のためにお金を払い、パトロンとなっているのだ、ということをもっと意識すべきだと私は思う。そして、それがさらに進み、「私がいないと、芸術家は活動できないのだ」というサポーター的な意識にまで進むべきだと思う。

サポーター的受け手の必要性                                                   
芸術文化と地域住民との関わりをタイプ分けすると次のようになる。
  • タイプ0 芸術文化活動に無関心・批判的な人
  • タイプ1 芸術文化活動にお金を払っていることを意識していないが、参加している人
  • タイプ2 パトロン。芸術文化活動に意識してお金を払い、参加している人
  • タイプ3 サポーター。芸術文化活動に意識してお金を払い、さらに積極的に関わっている人(知識を持つ、仲間と見る、意見を言う)

私は、地域の芸術文化の水準が上がるということは、タイプ2〜3のような住民が増えることだと思う。これは、先に書いた「積極的なお客さん」のことである。そういう人は、自分の好みの文化活動だけではなく、それ以外の芸術文化活動にも理解を示すだろうから、そういう人を増やすことが、文化的な活動全体に税金を使うことの根拠となる。行政側が「文化は良い」と言っているだけでは説得力がない。

そういうサポーター的な住民を増やすことを意図しながら、私が作っているWebサイトが「OEK fan」である。このホームページは、ボランティア的な、つまり、私が一人で勝手に作っている個人サイトだが、いろいろな可能性を秘めている。インターネットという双方向性のトゥールを使えば、文化の受け手と送り手とを簡単につなぐことができる。2002年秋には,石川県立音楽堂に「楽友会」というボランティア組織が出来,音楽堂で行われるイベントを盛り上げ,サポートする活動を行っている。私自身,この組織にも参加しているが,OEKfanについても,その活動の一環のようなつもりで作成している。

OEK fanの紹介                                                   
このサイトは、石川県立音楽堂の完成を機会に、2001年9月にOEKの活動を盛り上げたいと思い立ち、作成したものである。その背景は次のとおりである。
  • OEKには、従来「友の会」という組織があり、会報などを定期的に作成し、会員に配布するなど一定の役割を果たしていたが、新ホール完成を機に、定期会員制度に切り替わった(「友の会」も、上から作られた会であり、純粋な意味でのファンの集まりではなかったが)。
  • 私自身、OEKの発足以来ずっと、友の会会員としてOEKの公演に通っているうちに、次第にOEKに対する愛着が強くなっていった。
  • OEKの公演内容をパソコンで記録し、感想を書き溜めていたので、それを発表する場も欲しくなってきた。
  • ホームページを非常に簡単に作成できる時代になり,バーチャルなコミュニティを作るにはインターネットが有効だということがわかってきた。

 このようなことを考えながら、2001年9月にOEKfanを立ち上げた。その内容と意図は次のとおりである。

■公演情報
OEK fanの第一の目的は、OEKの活動を支援することである。その活動の中心は演奏会だから、どういう演奏会を聞けるのかというお知らせを最重視することにした。そのために、月ごとの公演情報をトップページに置いた。公演情報自体はOEKの公式ホームページでもわかるので、ファンの立場から「期待しています」という気持ちを伝えるようなスタンスで書いている。また、演奏される曲についての簡単な解説も入れている。トップページが月ごとに自然に更新されていくことになるのでページ全体の見た目の新鮮味を保つこともできる。

■ニュース
OEK公式ホームページのニュースを補うために、ファンの立場から「知りたい、お知らせしたい」と思うような情報を新聞、雑誌、テレビ、インターネットなどから集めてこのページに書いている。ただし、正確な情報については、OEKの事務局でないとわからないことがあるので、このニュースは少々中途半端な内容となっている。

■掲示板
前章で書いたとおり,ファン・サイトとしては、やはり他の人がOEKや公演についてどのような感想を持ったかということが気になる。掲示板はファン・サイトの定番である。定期公演が終わった直後の新鮮な感想を気楽に書いたり、OEKに関する情報交換を行うための場として自由に開放している(ただし,最近,広告等の書き込みが多くなってきたので,私がチェックを行った後,公開している)。

この掲示板については、OEKに限らず、石川県、北陸地方全体のクラシック音楽関係の情報交換の場になっていくことを期待している。特に、地元のアマチュア音楽家の活動を支援する場にしたい。また、この掲示板は、OEKのプレーヤーと聴衆との交流の場になっていく可能性もある。この辺は、どのような展開になるか、私にもわからない。掲示板については、匿名で書き込みができることから予想できないような問題が生じてくる可能性もあり十分注意が必要だが、インターネット上のコミュニティを活性化するためには最重要なものだろう。

■演奏会レビュー
金沢のような大都市圏から離れた都市の場合、演奏会の内容がマスコミを通じて報道される機会が少ない。『音楽の友』のような雑誌や地元の新聞などにレビューが掲載されることもあるが、字数制限があるため、十分に内容を伝えているとはいえない。OEKの活動自体は、他のプロオーケストラと遜色がないのに、その評判が全国的に、またOEKの奏者の方にも伝わらないもどかしさを解消するために、演奏会レビューのページを作ることにした。私のような音楽の素人が書いている点が問題なのだが、聴衆全員が音楽の専門家であるわけではないのだから、一定の意義はあると考えている。前述の掲示板や電子メールで寄せられた他のファンの感想も掲載していけば、情報を蓄積することも可能である。

良くても悪くても何らかの感想を持ち、文章として定着させることは、熱心なサポーターを作っていくために役立つことだろう。前章で書いたとおり,感想文を書くことにとらわれ過ぎるのは本末転倒だが、私自身の感覚からすると、一度書き始めると、やめられなくなるようなところがある。受け手のための自己表現の場ともいえる。

■CDレビュー
OEKは国内オーケストラの中でも積極的にレコーディングを行っている団体である。演奏会レビューと同様の意味でCDレビューのページを設けている。

■音楽堂ひとまわり
石川県立音楽堂が完成し音楽自体の魅力だけではなく場所の魅力も加わった。このホールに入ったことのない人にその魅力を紹介するためのページである。

■データベース
OEKも創設十八年になると、演奏会プログラム、コンクール、演奏旅行といったいろいろな情報がたまってくる。私自身、こういった情報を個人的に整理していたのだが、サイトを立ち上げたのを機会に、その内容を公開することにした。

■リンク
インターネット内を探してみると、OEKを応援している人や演奏会の感想を書いている人が結構いることがわかった。そういう人たちのサイトとつながりを作り、より重層的にOEKを応援したいと考えている。OEKfanを立ち上げた当初は,ブログのような日記サイトは非常に少なかったが,近年爆発的な広がりを見せている。将来的にはそういうOEKを応援するサポーターのブログを集めたものがファン・サイトになるのではないか,という気もしている。

このOEKfanというサイトは,OEKにはこれだけのファンがいるのだ、ということを目に見える形で表現し、OEKの活動にフィードバックをすることをいちばんの目的としている。このページの支援によって、OEKの活動がさらに盛り上がればこれ以上嬉しいことはない。

OEKfanのようなサポーター・サイトの維持は「好きだからできる」ことである。「好きならば誰でもできる」とも言える。このことは他分野でも実行可能である。ここでは触れなかったが、受け手からの情報発信に地元企業などがメセナのような形で応え、芸術文化に対する経済的な支援が増えてくれば、さらに状況が変わるだろう。芸術文化と地域の経済活動がうまく結びつけば、利益を出すこともできるかもしれない。受動的なだけではなく、積極的に参加していくような文化の受け手―こういう人々がインターネットなどを使ってつながりを作り、地域文化全体を活性化していくこと。こういったことが,「アーティストを応援する」ということの意味なのではないかと思う。
   (C)OEKfan 2006